外地・私鉄向け同系車および私鉄払下車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 03:36 UTC 版)
「国鉄スハ32系客車」の記事における「外地・私鉄向け同系車および私鉄払下車」の解説
鉄道省制式客車として大量生産された本系列であるが、これと同様式の私鉄向け客車は僅かに1形式1両、産業セメント鉄道(旧称:九州産業鉄道)向けの17 m級車が存在するのみであり、これも戦時買収で国鉄籍に編入されて新形式を起こされ、オハフ36形となっている。これは、播丹鉄道ホハフ500形 とともに私鉄買収客車に省制式形式が与えられた希少例の一つである。 九州産業鉄道オハフ1形客車 1932年に田中車輛で製作された1両のみである。車体形状は、長さはスハ32系の20 mに対し、側窓にして4枚分車体長を短縮されて17 m級とされた以外は、ほぼ完全にスハフ34400形に準じて設計製造されている。後は1967年に廃車し、私鉄等への払い下げも行われず、そのまま解体された。 台湾鉄道32000形鋼製客車 1935年10月に開催された台湾始政40周年記念博覧会のため、客車不足でありかつ台湾での工場設備能力が不足により、急遽内地の優秀車両メーカーに注文し、3か月以内に26両の客車が製造完成する必要があるため、出来る限り当時鉄道省の最新型車両の設計をそのまま流用されて製作された車両である。車種内訳は、二等車(ロボ32001 - 32004、日本車輌本店)、三等車(ハボ32001 - 32014、汽車会社東京支店、川崎車両)、三等緩急車(ブハボ32001 - 32004、日本車輌東京支店)、荷物車(ブボ32001 - 32004、日本車輌本店)。車体形状は、長さはスハ32系の20 mに対し、3 mを短縮し17 mになり、高さも100 mm低くしたが、他の構造は基本的にスハ32800の車体形状と同様。台車も、TR23を基本として10トン短軸仕様になって、枕ばねを3連になったもの。1937年、一二等車3両(オイロ32001 - 32003、汽車会社東京支店)を追加製造され、1940年にまた二等車3両(オロ32005 - 32007)、三等車3両(オハ32015 - 32017)を増備され、1941年以降の増備車は大窓車32100形に移行されたから、最終的に同系車は35両になった。一部戦災廃車を除いて、戦後は、車種記号が英数に変更し、内装など改造がある外、長年に車体はそのまま使い続けて、1973年、唐栄鉄工廠により、更新改造の名目で新製車体に乗せ換え、30SP・SPK32100型に改造されて型式消滅した。
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