一五式乙型水上偵察機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/09 18:46 UTC 版)
「一五式水上偵察機」の記事における「一五式乙型水上偵察機」の解説
中島では主任設計者を吉田孝雄技師とし、ハンザ式の視界不良の欠点を克服すべく、新設計の一葉半の主翼形式とし下方視界の広い機体を開発し、1924年(大正14年)に試作機を完成させた。審査の結果下方視界の他に飛行性能も他に比べ格段に優れていたことから、中島の機体の採用が決定。さらにカタパルト射出に耐えうるよう強度を増加し、尾翼の改修も行った後に、国産初の艦載カタパルト用水偵として1927年(昭和2年)5月に制式採用され、名称も単に「一五式水上偵察機」となった。略符号は「E2N」。 バリエーションとして通常型の一五式水上偵察機一型(E2N1)のほかに、複式操縦装置を搭載して水上中間練習機とした一五式水上偵察機二型(E2N2)があった。このほか、特殊な派生型として民間の魚群探検用機として三座化が行われた中島式漁業用水上機があり、第八義勇号と第九義勇号の2機が製造された。 昭和10年初頭まで艦載機として一線にあり、その後は中間練習機として用いられた。生産機数は約80機で、ほかに民生用として郵便機等の用途で10機程度が川西航空機でも生産された。
※この「一五式乙型水上偵察機」の解説は、「一五式水上偵察機」の解説の一部です。
「一五式乙型水上偵察機」を含む「一五式水上偵察機」の記事については、「一五式水上偵察機」の概要を参照ください。
- 一五式乙型水上偵察機のページへのリンク