一二等TEE
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/06 05:16 UTC 版)
「パリ・ブリュッセル・アムステルダム間の列車」の記事における「一二等TEE」の解説
1993年5月23日(LGV北線部分開業と同日)から、パリ - ブリュッセル間のユーロシティであったイル・ド・フランス、ブラバント、ルーベンスはTEEに種別を変更した。さらに同区間にはもう一往復のTEEが設定され、「ヴァトー」と命名された。ただし、かつてのTEEとは異なり、これらのTEEは二等車も含む編成であった。特にイル・ド・フランスとルーベンスはユーロシティの時は一等車のみだったにも関わらず、再度TEE化された際に二等車を含むようになった。なおパリ - アムステルダム間のエトワール・デュ・ノールはユーロシティのままだった。また土曜日と日曜日にはブラバント以外のTEEは運休となった。 これらの列車にTEEの種別名を用いたのはマーケティング上の理由によるものである。当時パリ - ブリュッセル間の列車は航空機との競争にさらされていた。このころ「ユーロシティ」の種別は東ヨーロッパへの列車にも用いられるなど一般化してしまっていたため、よりイメージの良い"TEE"の名称を用いたのである。 ただし、パリ - ブリュッセル間の所要時間は最短2時間30分と、1970年代と比べても遅くなっていた。それでさえ機関車の老朽化のため遅延が常態化していた。 1995年1月23日、パリ - ブリュッセル間のTGV運転開始と引き替えにTEEのうち3往復が廃止され、ブリュッセル行イル・ド・フランス(TEE 85)とパリ行ヴァトー(TEE 88)のみが残った。この一往復も1995年5月26日の運行を最後に廃止された。この日20時01分にブリュッセル南駅に到着したイル・ド・フランスが史上最後のTEEとなった。
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