ヴァフタング4世の後継
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「ギオルギ8世 (ジョージア王)」の記事における「ヴァフタング4世の後継」の解説
アレクサンドル1世の退位後、ヴァフタング4世は「諸王の王」として跡を継いだ。この称号は、ヴァフタング4世の弟よりも優先権が高いことを示すものであった。その一方、ディミトリおよびギオルギは王国の特定地域における王権を保持したままであったが、彼らの称号を示す明確な史料は残されていない。歴史学者のキリル・トゥマノフとドナルド・レイフィールドはディミトリとギオルギについて、王としての任命は維持されたままであるとしているが、『ジョージア年代記(グルジア語版)』は彼らを「ムタヴァリ(グルジア語版)」(グルジア語: მთავარი、グルジア語ラテン翻字: Mtavari、「王子」「親王」「公爵」の意)とのみ記述している。歴史家ヴァフシティ・バグラティオニによると、ギオルギが兄ヴァフタング4世によって共同王の地位にあったのは1445年までであるとしている。またヴァフシティ・バグラティオニは、総主教アントン1世(グルジア語版)による「歴史についての談話」においてヴァフタング4世の治世中のギオルギに言及があり、王国の大部分を支配したと述べている。 カヘティ、チャリ(グルジア語版)やカキといった小国を持つヘレティ(グルジア語版)、現在はハジ・チャラビー(アゼルバイジャン語版)が統治しているシャキ、首都をシャマフ(アゼルバイジャン語版)に置くシルヴァンがあり、ヴァフタング4世は彼(ギオルギ)に王の称号ではなく、ムタヴァリ(グルジア語版)の称号を授けた。 19世紀の作家でジョージアの王族でもあるダヴィト・バクラティオニ(グルジア語版)によると、ヴァフタング4世はギオルギに対して、カスピ海のデルベントを含むコーカサス北東部を領土として割り当てたと記述している。一方でヴァフシティ・バグラティオニは、ギオルギの領土について異なる表現をしている――北はシスコーカサス、西はアラグヴィ川(グルジア語版)からリロ山(イオリ高原)、南はムツクヴァリ川、東はカスピ海。ディミトリはヴァフタング4世とジョージア西部およびカルトリを共同統治していた。ヴァフタング4世の治世は短く、子供を残すことなく1446年12月に崩御した。謎めいた状況ではあったが、おそらくヴァフタング4世の遺志に従い、ギオルギが王冠を継承することとなった。弱いディミトリはジョージア西部に追いやられた。なお18世紀に書かれたジョージア君主に関する公式年代記では、1452年までディミトリを正当な王として認めている。またいくつかの王室文書には、ギオルギ8世の治世が1446年12月25日に始まったことを示すものがある。 当時のジョージア軍は1444年のテュルク人侵攻を撃退したことにも示されるように、アレクサンドレ1世の改革以来強力なままであった。ギオルギ8世の外交活動から、当時は王の権限により7万人を招集することができたと推定されている。この20年後、4万人のテュルク軍が国土を荒廃させることになるが、この当時は強大な軍事力を有していた。この力はオスマン帝国によって包囲されつつある正教会の世界では戦略的に機能した。 1451年には東ローマ帝国の外交官ゲオルギウス・スプランツェース(ギリシア語版)が、皇帝コンスタンティノス11世パレオロゴスの后となる人物を求めてギオルギ8世を訪問した。ギオルギ8世は娘のマリアムを東ローマ皇帝に嫁がせることには同意したが、金銭的な詳細で衝突が発生した。東ローマ帝国は持参金を要求したが、ジョージアは伝統として花嫁にふさわしい価格を要求することから、ギオルギ8世は交渉において東ローマ帝国の村を求めた。最終的にギオルギ8世は56,000ドゥカートと宝石、高級家具、儀式用の衣服、そして毎年3,000ドゥカートの年金を東ローマ皇帝に支払うことで合意した。この金額はジョージアの経済を台無しにする可能性があった。また当時、オスマン帝国は東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを包囲する準備を始めていたが、東ローマ帝国と手を組む可能性のある潜在的同盟国は早めに排除したいと考え、1451年にアブハジアの海岸を急襲し現地のジョージア軍に壊滅的な打撃を与えた。1453年、オスマン帝国がコンスタンティノープルを攻略して東ローマ帝国を滅ぼした。ギオルギ8世の娘マリアムがトビリシを出発する前に東ローマ帝国が滅亡したことで、この結婚プロジェクトそのものが消滅した。
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