ワイナンズの開発したキャメル型の機関車
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「ロス・ワイナンズ」の記事における「ワイナンズの開発したキャメル型の機関車」の解説
キャメル型の機関車はすべて牽引力重視で低速であった。先台車がなく、ボイラーの蒸気発生量が限られていたので、速度は10 - 15 マイル毎時程度に限られていた。しかしその速度では、水平区間で110両の積車の石炭車を1両のキャメル型で牽引することができた。キャメル型の最も大きな特徴は、運転台がボイラーの上に載せられていることがある。大きな蒸気だめがあり、スライドバルブを備え、ボイラーに控えボルトを使用していた。14 フィート(約4.3 m)以上の長さのある100本以上の煙管が備えられていた。 キャメル型はおよそ25 フィート(約7.6 m)の全長で、第1動輪から第4動輪までの間隔は11 フィート(約3.4 m)であった。短煙管型・中煙管型・長煙管型の3つの大きな形態があった。短煙管型は17 インチ×22 インチのシリンダーを、それ以外の2形式は19 インチ×22 インチのシリンダーを備えていた。中煙管型で火格子面積は23 平方フィート(約2.1 平方メートル)、大煙管型で28 平方フィート(約2.6 平方メートル)であった。長煙管型は、8 フィート(約2.4 m)以上の長さの火室になっており、火夫が火室前部に給炭するためにはレバーを使って操作するシュートを使う必要があった。機関士の席より後ろに火室があったので、火夫は炭水車に乗って働いていた。この設計のために牽引棒は火室の下に配置されることになり、熱されて赤くなっているのが普通であった。通常の方式の運転台に改造された後でも、火夫は炭水車で働いていた。標準的なキャメル型の機関車は43 インチの車輪を備え、緑に塗られていた。 キャメル型の炭水車は4軸で、後ろ側の台車のみにブレーキを備えていた。5 トンの石炭と8.5 トン(2,000 ガロン以上)の水を搭載していた。石炭と水を満載すると23 トンの重量となり、機関車自身より4 トン軽いだけであった。 メリーランド鉱山会社 (Maryland Mining Co.) から8,000 ドルで購入された1両を含めて、10両のキャメル型機関車がボルチモア・アンド・サスケハナ鉄道 (Baltimore & Susquehanna) に納入された。また、ボルチモア・アンド・サスケハナ鉄道から購入した機関車に加えて10両がノーザン・セントラル鉄道 (Northern Central) に納入された。2両がニューヨークのエルミラ・アンド・カナンダギア鉄道 (Elmira & Canandaguia) に納入され、後にキュンバーランド・アンド・ペンシルバニア鉄道 (Cumberland & Pennsylvania) へ売却された。ペンシルバニア・アンド・レディング鉄道の機関車サスケハナ号は、ホワイトの書籍に詳細に描かれている。2両のワイナンズ製機関車が1863年に南部ペンシルベニア州のハンティンドン・アンド・ブロード・トップ・マウンテン鉄道に納入された。1両は1868年に爆発事故を起こして4名の死者が出た。この会社はブロード・トップ山の西側を走っていたが、東側には有名な狭軌の鉄道、イースト・ブロード・トップ鉄道 (East Broad Top) が走っていた。キュンバーランド・アンド・ペンシルバニア鉄道とハンティンドン・アンド・ブロード・トップ・マウンテン鉄道は、ペンシルベニア州ステート・ライン (State Line) で交差していた。 ワイナンズの製造したキャメル型機関車の多くは、1両1万ドル前後で販売された。我々が今日では投資銀行と呼ぶであろうような組織、イーノック・プラット (Enoch Pratt) のような人間が、機関車の販売を促進した。銀行は当時、商業的な目的に融資をできるだけの資本をまだ蓄積していなかった。 フィラデルフィア・アンド・レディング鉄道の記録には、キャメル型機関車の走行と改造の履歴の詳細な情報が含まれている。この会社では、1846年から1855年に掛けて合計48両の納入を受けた。1858年の時点で、フィラデルフィア・アンド・レディング鉄道は44両の機関車で350万マイルあまりの走行距離を記録しており、キャメル型機関車はフィラデルフィア・アンド・レディング鉄道の機関車のうちの約20 %を占めていた。1865年の時点では、48両中28両のみが未改造で、1870年になると未改造は4両のみになったが、この4両はほぼ100万マイルの累積走行距離を記録していた。改造までの平均運用期間は13.5年であった。ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道における類似した記録によれば、改造までの平均運用期間は8.5年であった。合計15両のキャメル型の改造が、1866年から1875年に掛けてマウント・サベージ (Mount Savage) のキュンバーランド・アンド・ペンシルバニア鉄道の工場で実施された。 キャメル型機関車で大きな事故は3件のみ記録されている。重大ではない事故はより頻繁に発生していたが、ほとんど記録に残されていない。ロバーツの文献によれば、ワイナンズのキャメル型機関車は、ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道の17 マイル(約27 km)の平坦区間で1855年頃に、144 トンの重量を牽引していた。ディルツの文献によれば、ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道ののワイナンズのキャメル型であった71号機関車は117 トンの重量を牽引して2.2 %の上り勾配を18 マイル毎時(約29 km/h)で走行したとする。1854年に使用されていた、ワイナンズ設計の3軸ホッパ車は空車重量3 トンとして、40両ほどの空車をエッカート・ブランチ (Eckhart Branch) で牽いていた。
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