ロー・パワー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 04:19 UTC 版)
「ジェームズ・ウィリアムソン」の記事における「ロー・パワー」の解説
1972年7月15日、結成後のイギー&ザ・ストゥージズはロンドンのキングスクロス(英語版)地区にあるキングスクロス・シネマでお披露目ギグを成功させた後に、サードアルバム『ロー・パワー』制作のため、ロンドンのCBSスタジオに入った。事務所はこのアルバムをデヴィッド・ボウイにプロデュースさせる予定でいたが、イギーが断ったことに加えてボウイ自身も初の大規模なワールドツアーの最中で事務所もその対応に忙殺されていたことから、事実上事務所からは放置されることになり、バンドメンバー以外の制作スタッフはエンジニアくらいという体制となった。プロデューサークレジットはイギーの単独名義となったが、実際にはウィリアムソンがバンド演奏をまとめた後に、イギーがヴォーカルを吹き込むという共同プロデュースのような形を採っていたと、後にイギーが語っている。 レコーディングは1ヶ月程度で終了したが、事務所に披露したところ、楽曲が気に入らないことに加えてミックスダウンが稚拙なものだったことから事務所はリリースに難色を示し、デヴィッド・ボウイにミックスダウンをやり直させるように指示するとともにメンバー全員をロサンゼルスに向かわせた。メンバーはビバリーヒルズ・ホテル(英語版)に滞在し、そこでボウイと会った。ツアースケジュールを1日だけ空けて出向いたボウイは、イギーとウィリアムソンが持参したマスターテープを聞いて驚いた。24トラック中3トラックしか使用されていないという状態で、しかも、その3トラックに詰め込まれた音源はヴォーカルや楽器の単位で分離されておらず、それぞれの音が被っていた。ボウイは対応に苦慮し、結局、低音が聞き取りづらくなるという形に妥協してまとめ上げた。ミックスダウン終了後に事務所の指示でメンバーはビバリーヒルズからハリウッドに移動した。 後年、ウィリアムソンは様々な媒体からボウイのミックスに対する意見を求められたが、ウィリアムソンの回答は年とともに変化している。 2001年のインタビューでは「当時は気に入らなかったが、今はあの出来のマスターに対してボウイは良い仕事をしたと思っている。」「イギーのリミックスはアイデアはいいと思うんだが、仕上がりは気に入っていない」。2010年には「芸術家気取りのミックスだったが、自分のギターを前面に出してくれたのは良かった。」「イギーがリミックスすると聞いた時は嬉しかった。仕上がりは気に入っている。」2015年には「アルバム製作に第三者の視点を取り入れることができたのは有効だったと思う。」2017年のインタビューでは「唯一無二の素晴らしいミックスだと思う。」「イギーのリミックスを気に入ったことはない。」 ただし、「ミックスの現場には自分たち(イギーとウィリアムソン)もいたのだから、気にくわない仕上がりならその場で言っていた。あのミックスに対する責任は自分たちにもある。」とは一貫して語っている。 このような作業を経て、1973年2月にアルバム『ロー・パワー』はリリースされたが、メンバー選定、プロデューサー選定、楽曲選定などでことごとく意に沿わない形をとり続けるイギーとザ・ストゥージズの扱いに事務所は手を焼き、アルバムリリース後のツアーに出すこともなく、ハリウッドで放置状態にしてしまった。まともにプロモーションされなかった『ロー・パワー』は再び商業的に失敗した。
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