ラスト・ファイト
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2004年3月6日、WBA世界バンタム級暫定王座初防衛戦でフリオ・サラテ(メキシコ)の挑戦を受けた。当初、戸高は敵地で正規王者ジョニー・ブレダル(デンマーク)と統一戦を行う予定であったが、最終的に交渉が決裂し、統一戦の前に防衛戦を挟むことになった。試合は挑戦者のアウトボクシングに終始翻弄される形となり、0-3の判定負け。わずか5か月で王座を手放した。 練習中に怪我をすることが多くなり、常にベストの状態に体を維持できなくなったことが原因だと言う。戸高は結局、この試合を最後に現役を引退した。 最終戦績は26戦21勝(10KO)4敗1分。世界戦戦績は7戦4勝(1KO)2敗1分。
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ラストファイト
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2012年8月15日、世界4階級制覇王者でIBF・WBO世界スーパーバンタム級統一王者ノニト・ドネア(フィリピン)との王座統一戦を、10月13日(日本時間14日)にアメリカ・カリフォルニア州カーソンの ホーム・デポ・センター・テニスコートで行われることが正式に発表された。 7度目の防衛戦後にドネアが西岡との対戦を希望したものの、実現までには至らず。7月にアメリカで行われたドネア vs ジェフリー・マセブラ戦を観戦し、試合後リングに上がり直談判するも、7月末にドネア vs ホルヘ・アルセ戦が内定。しかしアルセが取り止めたためドネアとの対戦が実現した。当初ドネアの持つIBF・WBO王座と、王座決定戦として行われるWBCダイヤモンド王座とリングマガジン認定王座の計4本のベルトがかけられることになっていたが、試合開始前にIBF王座は除外(ドネアがIBF王座返上の意思を示した為)された。 試合は10月13日20時00分(現地時間)にゴングとなり、序盤から終始ドネアにペースを握られて苦戦。序盤にはほとんど攻勢に出ることのできない西岡にブーイングが飛ぶほどだった。6回に左アッパーをボディに当てられてダウンを喫し、9回に西岡が捨て身の攻撃を仕掛けるところをドネアが左アッパーと右ストレートのコンビネーションで2度目のダウンを奪う。西岡は立ち上がり試合続行に応じるが、ドネアが追撃のパンチを当てるところで西岡陣営からの要請によりレフェリーストップ。ドネアにダメージを与えるどころか、ほとんど何もできないまま9回1分54秒TKO負けと惨敗に終わった。この試合で西岡は10万ドル(約780万円)、対戦相手のドネアは75万ドル(約5800万円)のファイトマネーを稼ぎ、米国ではHBOのボクシング中継番組『ボクシングアフターダーク』のメインイベントとして中継された。試合後、本田明彦会長が西岡の引退を明言。その後、11月13日に西岡自身が会見を開き引退を表明した。
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ラストファイト
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1973年1月2日、日大講堂で行われた5度目の防衛戦の相手は「稲妻小僧」の異名を持つベテラン、チャチャイ・チオノイ(タイ)。初回、いきなりの右ロング・フックをまともに受け大場はダウン。この時大場は右足首を捻挫、以降ラウンド間に氷で冷やしつつ、足を引きずりながらも打ち合いに応じていった。 大場は、強気のボクシングで試合中盤から形勢を逆転し、ついに12回、チャチャイから1度目のダウンを奪う。タイの老雄はレフェリーに促されるように立ち上がるが、鬼気迫る表情の大場の連打に晒され2度、3度とダウン。大場は逆転ノックアウト勝利を収めた。
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