ユリシーズ落下と難民問題
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「大陸戦争 (ACE COMBAT)」の記事における「ユリシーズ落下と難民問題」の解説
1999年7月8日、ユリシーズはロシュ限界を突破し、千以上の核と無数の塵に分裂した。ストーンヘンジを始めとした破砕手段が講じられたものの、多数の破片が大気中で燃え尽きることなく地表へ落着した。ユージア大陸では最初の2週間で約50万人が死亡し、大陸全体のGDPにして約18ヶ月分の経済的損失を被り、その後も数年間に渡って軌道上に残った破片の断続的な落下に悩まされることとなる。ユージア大陸全体で直径1マイル(約1.6km)を超えるクレーターは30個以上に上った。隕石落下に伴う被災難民は大陸全体で数百万人に上り、難民問題の深刻化が後に大陸戦争を引き起こす一因となった。 当時、各国から最大の難民受入国として期待されていたのはエルジアであった。2000年4月21日、エルジア外務省はビザの発給要件の引き締めを発表し、事実上の難民受け入れ拒否の態度を示した。同省よると、既に20万人がエルジアに入国しておりこれ以上の難民受け入れは不可能であると説明したが、国際世論は納得せず非難した。この発表後も、受入再開を期待した難民はエルジア国境に集まり続けた。エルジア政府は難民に対し他の国への移動を呼びかけ、国営の航空機やバスなどを使った輸送を試みたが、一部のNGOは「人道空輸計画」と称する無計画な難民輸送を続けた。エルジア政府はこれに対し、無責任を通り越して殺人行為だと非難した。キャパシティを超えたエルジア国境の難民キャンプでは犯罪と疫病が蔓延し、難民キャンプを視察した国連のグッゲンハイム弁務官は「キャンプは不衛生極まりなく、過密化が進み危機的状況だ」と語った。この時点で国境に集まった難民の数は約60万人にも上り、大陸内外から寄せられた救援物資でようやく風雨を防ぎ糧を得る状況であった。グッゲンハイム弁務官は難民問題をひとつの国に押し付けるべきではなく、国際社会による救済が必要であると語り、ユージア大陸の他の国々に受入枠の拡大と避難計画の前倒しの実行を要請したが、まともに応える国は少なかった。エルジアには大小合わせて10個の隕石が落着しており、首都ファーバンティに落ちたもので数万人、セラタプラの沿岸付近に落着したもので津波によって3万人もの死者が出ていた。エルジアのフレデリック・アップダイク外務大臣は、100万人の難民受入は到底無理な話であると語った。エルジア国内の世論もまた、難民を押し付ける各国に対する不満が蔓延していた。 ユリシーズによる被害はユージア大陸のみならず、他の大陸でも発生した。アネア大陸東部のエストバキア連邦では隕石迎撃システム「シャンデリア」の計画が頓挫したため甚大な被害を被り、この被害による経済破綻からエストバキア内戦に突入した。一方、オーシア大陸(オーシアやベルカなどがある大陸)やベルーサ大陸(ユークトバニアがある大陸)の被害は軽微であった。
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