ユリシーズ破砕計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 01:17 UTC 版)
「ストーンヘンジ (エースコンバットシリーズ)」の記事における「ユリシーズ破砕計画」の解説
開発のために、元ベルカ空軍のエースパイロットでエルジア在住のユージア工科大学物理工学博士ダビド・ハートマンなど、多彩な人材が国籍を問わず大陸内外から集められた。これは計画実現に高度な技術が必要だったこともあるが、それ以上に兵器的な特性を持つこの施設の開発には関係国に対する細心の注意が必要であったということが大きい。そのため、開発運用時の警備もFCU単独ではなく、UTOによる国際共同警備が行われており、施設北東の空港エリアではUTO指揮下の航空機が常時18機で警備活動を実施していた。当時の開発者サイドからは、運動エネルギー兵器(KEW: Kinetic Energy Weapon)ではなく磁飛翔体加速装置(EML: Electro magnetic Launcher)の一種と定義されており、あくまでも隕石迎撃という平和目的で造られたことが強調されていた。 1996年に開始されたSTN計画は期限までわずか3年という期間でありながら迅速に進んでいった。1998年6月には追跡調査の結果、小惑星本体の組成がより鮮明化し、ユリシーズの内部構造がより詳細に判明した。IAU天文物理学チームとシールズブリッジ大学の計算によると、分裂したユリシーズは大別して2つのグループに離散し、従来想定されていた以上の範囲に渡り破片が地表に落着することが判明し、アネア大陸東部にも落着すると見込まれた。追加された落着予測範囲はストーンヘンジの射程外であったが、FCUは国家間の調整とSTN計画の遂行を確実に行う事を優先したため、迎撃範囲の拡大は見送られた。 同年9月時点で初号砲の試射が終わり、STN計画実行委第28設計局局長ヤン・トミック博士によると「80%の完成度といって良い」という進捗状況であった。1999年1月15日、ユリシーズ落着予定日の約半年前にストーンヘンジは完成を迎えた。 ストーンヘンジ建築費用は各国分担の他に一般市民からの募金という形でも募られており、受領証明と共に送られてくる「ペーパークラフト・ストーンヘンジ」はとても人気があった。
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