ユダヤ教の反乱とユダヤ・キリスト両教徒への迫害
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「初期キリスト教」の記事における「ユダヤ教の反乱とユダヤ・キリスト両教徒への迫害」の解説
詳細は「ユダヤ戦争」を参照 ユダヤ属州のローマ総督は50年代からユダヤ迫害を激しくした。66年、総督フロルスの時、対立が激化し、ユダヤ指導者は反乱に批判的であったがエルアザル・ベン・ハナニヤらユダヤ教過激派がエルサレムを支配し、ユダヤ戦争が始まった。70年にローマ軍はこれを鎮圧し、ヨセフスもローマ軍に投降し、サドカイ派とエッセネ派のクムラン教団はこの戦争で消滅または四散した。1947年に発見された死海文書によれば、クムラン教団はメシアの先駆者である「公正の教師」を待望し、終末論的黙示思想をもっていた。クムラン教団はパリサイ派に迫害されて後の修道士とよく似た団体生活を送った。戦後、ユダヤ教は存在を許されたが、エルサレムの神殿体制は崩壊し、ファリサイ派はヤブネの土地を拠点とした。ユダヤ戦争の際にキリスト教徒は反乱に加わることはなく、反乱後、キリスト教徒はユダヤ教から離れて独立していった。他方、ファリサイ派はキリスト教への敵意が明瞭になっていき、90年頃の祈祷文にはナザレ人と異端への呪いが記された。 81年から96年まで統治したドミティアヌスは皇帝権を強化し、自らを「主にして神」と称し皇帝位を神格化した。ドミティアヌス皇帝は、ユダヤの風習に染まったとして自分のいとこフラウィウス・クレメンス、フラウィア・ドミティッラ(ユリア・フラウィアとは別人)、アキリウス・グラブリオらが追放処刑され、さらに元老院議員にも弾圧を加えた。ドミティアヌスは皇帝礼拝を要求し、激しいユダヤ教徒やキリスト教徒の迫害が起こったと考えられてきた。しかし、このように帝国上層部にユダヤ教思想が浸透していたのに対して、キリスト教はまだ微小な存在であった。また、ドミティアヌスによるキリスト教迫害の史料は2世紀以降の伝承に基づくもので、保坂高殿は迫害は無かったとする。しかし、当時すでにキリスト教徒弾圧が行われていたとする見解もあり、1世紀末に成立したヨハネの黙示録では帝国と皇帝を迫害者として描いていることに依っているが、具体的な迫害の有無はわかっていない。 第二の獣は、獣の像に息を吹き込むことを許されて、獣の像がものを言うことさえできるようにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。 — 新共同訳、「ヨハネの黙示録」13.15 この迫害を示すとされてきた黙示録の記述についても正確な史実を反映したものではなく、ドミティアヌス統治期に皇帝礼拝拒否が法廷での処刑につながったという見方は困難であると保坂高殿は論じている。 110年頃、属州アシア総督プリニウスがキリスト教徒への告発を受けて、その裁判について皇帝トラヤヌスに問い合わせた文書が残されており、これはキリスト教内の伝承資料をのぞけば、ローマ帝国における初期キリスト教の実像を示す第一級の資料である。このプリニウス・トラヤヌス文書によれば、キリスト教徒のうちローマ市民権を持たない住民を処刑し、市民権所持者はローマへ送った。棄教者に対して総督は神々と皇帝への祭儀を強制し、さらに総督はキリスト教徒の実態を調査したところ、キリスト教徒は迷信を信じているが、集会内容はいかがわしいわけではなく、生活も清潔であると報告した。報告を受けた皇帝は、キリスト教徒を棄教しない者の処刑とローマ送致は認めて、棄教者が帝国祭儀に従うのであれば放免すべきで、さらに総督に対してはキリスト教徒の捜索逮捕を禁止し、また、無責任な匿名の告発の受理を禁止した。この文書に関してキリスト教禁止法の存在は否定されているが、社会で反感を買ったキリスト教徒は厳しく処罰されていることが確認できる。 115年にもユダヤ人が蜂起しキトス戦争が、132年にもバル・コクバの乱が起きている。 当時キリスト教徒への迫害は国家権力よりも一般住民の反感から発動されており、177年のガリアのルグドゥヌム(現在のリヨン)の迫害では、ゲルマン人撃退と皇帝礼拝祭典を前にして熱狂した民衆が教徒に暴行を加え、競技場で教徒が公開処刑され、このほか、スミルナ、小アジアの諸都市で迫害が生じた。しかし、皇帝はトラヤヌス以降、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス皇帝らも無責任な告発を禁じるという寛容な姿勢を続けており、帝国レベルでのキリスト教徒対策は意識されていなかった。しかしながら、マルクス・アウレリウス・アントニヌスは『自省録』でキリスト教徒の熱狂的な信仰への嫌悪感を吐露しており、キリスト教徒を冷ややかな目で見ていたことがうかがえる。
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