ユダヤ教の反乱とユダヤ・キリスト両教徒への迫害とは? わかりやすく解説

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ユダヤ教の反乱とユダヤ・キリスト両教徒への迫害

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 00:26 UTC 版)

初期キリスト教」の記事における「ユダヤ教の反乱とユダヤ・キリスト両教徒への迫害」の解説

詳細は「ユダヤ戦争」を参照 ユダヤ属州ローマ総督50年代からユダヤ迫害激しくした。66年総督フロルスの時、対立激化しユダヤ指導者反乱批判的であったがエルアザル・ベン・ハナニヤらユダヤ教過激派エルサレム支配しユダヤ戦争始まった70年ローマ軍はこれを鎮圧しヨセフスローマ軍投降しサドカイ派エッセネ派クムラン教団はこの戦争消滅または四散した1947年発見され死海文書によればクムラン教団メシア先駆者である「公正の教師」を待望し、終末論的黙示思想をもっていた。クムラン教団パリサイ派迫害されて後の修道士とよく似た団体生活を送った戦後ユダヤ教存在許されたが、エルサレム神殿体制崩壊しファリサイ派ヤブネ土地拠点とした。ユダヤ戦争の際にキリスト教徒反乱に加わることはなく、反乱後キリスト教徒ユダヤ教から離れて独立していった。他方ファリサイ派キリスト教への敵意明瞭になっていき、90年頃の祈祷文にはナザレ人異端への呪い記された。 81年から96年まで統治したドミティアヌス皇帝強化し、自らを「主にして神」と称し皇帝位神格化したドミティアヌス皇帝は、ユダヤ風習染まったとして自分のいとこフラウィウス・クレメンス、フラウィア・ドミティッラ(ユリア・フラウィアとは別人)、アキリウス・グラブリオらが追放処刑され、さらに元老院議員にも弾圧加えたドミティアヌス皇帝礼拝要求し激しユダヤ教徒キリスト教徒の迫害起こった考えられてきた。しかし、このように帝国上層部ユダヤ教思想浸透していたのに対してキリスト教はまだ微小な存在であったまた、ドミティアヌスによるキリスト教迫害史料2世紀以降伝承に基づくもので、保坂高殿迫害無かったとする。しかし、当時すでにキリスト教徒弾圧が行われていたとする見解もあり、1世紀末に成立したヨハネの黙示録では帝国皇帝迫害者として描いていることに依っているが、具体的な迫害有無わかっていない。 第二は、の像に息を吹き込むことを許されて、の像がものを言うことさえできるようにし、の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。 — 新共同訳、「ヨハネの黙示録」13.15 この迫害を示すとされてきた黙示録記述についても正確な史実反映したものではなくドミティアヌス統治期に皇帝礼拝拒否法廷での処刑つながったという見方は困難であると保坂高殿論じている。 110年頃、属州アシア総督プリニウスキリスト教徒への告発受けて、その裁判について皇帝トラヤヌス問い合わせた文書残されており、これはキリスト教内の伝承資料のぞけばローマ帝国における初期キリスト教実像を示す第一級資料である。このプリニウス・トラヤヌス文書によればキリスト教徒のうちローマ市民権持たない住民処刑し市民権所持者はローマへ送った棄教者に対して総督神々皇帝への祭儀強制し、さらに総督キリスト教徒実態調査したところ、キリスト教徒迷信信じているが、集会内容いかがわしいわけではなく、生活も清潔であると報告した報告受けた皇帝は、キリスト教徒棄教しない者の処刑ローマ送致認めて棄教者帝国祭儀に従うのであれば放免すべきで、さらに総督に対してキリスト教徒捜索逮捕禁止しまた、無責任な匿名告発受理禁止した。この文書に関してキリスト教禁止法存在否定されているが、社会反感を買ったキリスト教徒厳しく処罰されていることが確認できる115年にもユダヤ人蜂起しキトス戦争が、132年にもバル・コクバの乱起きている。 当時キリスト教徒への迫害国家権力よりも一般住民反感から発動されており、177年ガリアのルグドゥヌム(現在のリヨン)の迫害では、ゲルマン人撃退皇帝礼拝祭典前にして熱狂した民衆教徒暴行加え競技場教徒公開処刑され、このほか、スミルナ小アジアの諸都市迫害生じた。しかし、皇帝トラヤヌス以降ハドリアヌスアントニヌス・ピウス皇帝らも無責任な告発禁じるという寛容姿勢続けており、帝国レベルでのキリスト教徒対策意識されていなかった。しかしながらマルクス・アウレリウス・アントニヌスは『自省録』でキリスト教徒熱狂的な信仰への嫌悪感吐露しており、キリスト教徒冷ややかな目で見ていたことがうかがえる

※この「ユダヤ教の反乱とユダヤ・キリスト両教徒への迫害」の解説は、「初期キリスト教」の解説の一部です。
「ユダヤ教の反乱とユダヤ・キリスト両教徒への迫害」を含む「初期キリスト教」の記事については、「初期キリスト教」の概要を参照ください。

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