ユダヤ教に対する態度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/26 04:23 UTC 版)
「アブラハム・メンデルスゾーン」の記事における「ユダヤ教に対する態度」の解説
アブラハムは自分のユダヤの出自に対しては断固とした態度を取った。彼はユダヤ教の時代は終わっており、ドイツ社会の一部となるべく実践的な第一歩を踏み出すことが必要であると考えていた。この目的のために彼とレアは1809年、1812年にそれぞれ生まれたフェリックスとパウルの兄弟には、あえて割礼を受けさせないという決断をしたが、これはレアの母との間で議論を引き起こした。彼の父モーゼスは、姓を変えてはどうかという、レアの弟のヤコプ・ザロモン・バルトルディ(英語版)の助言を受け入れた。ヤコプはルイーゼン広場(英語版)にあった土地を相続し、その名前にちなんでバルトルディと名乗っており、アブラハムも彼に倣ってこの名前を採用した。著名人であった父のモーゼスは「ユダヤ教の孔子などいないのと同様に、クリスチャンのメンデルスゾーンなどもまた存在し得ないのだ。」と述べており、アブラハムは後にフェリックスに対し書簡を送り「メンデルスゾーンを名乗るのを止め、バルトルディ姓のみを用いるように」と急かしている。しかしフェリックスは両方の姓を使い続け、聴衆は単に彼を"メンデルスゾーン"と呼ぶようになった。アブラハムは当初、子ども達を宗教教育を受けさせずに育て、1816年には洗礼を受けさせた。彼自身とレアも1822年10月4日にフランクフルト洗礼を受けたが、これはここがベルリンにいる親戚や知人から十分遠い場所だったからである。
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