モ800形への改形式・付随車の増備など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 07:57 UTC 版)
「名岐鉄道デボ800形電車」の記事における「モ800形への改形式・付随車の増備など」の解説
1941年(昭和16年)に実施された名鉄保有車両の形式称号改訂にて、デボ800形はモ800形と形式を改めた。形式改訂と同時に、前述した制御車化改造によって生じた空番を解消する目的で、デボ804・デボ805(ともに初代)がモ802・モ803(ともに2代)と、デボ809・デボ810(ともに初代)がモ804・モ805(ともに2代)と、それぞれ改番された。 改訂に先立つ1938年(昭和13年)10月には中間付随車サ2310形2311 - 2315の5両が、同じく日本車輌製造本店にて新製された。落成当初より将来的な制御車化改造を意図して、基本設計はク2300形(初代)を踏襲したが、車内座席がオールロングシート仕様に変更されて車両定員が140人(座席70人)に増加したほか、台車が心皿荷重上限を1 t減じた日本車輌製造D15に変更され、屋根上のパンタグラフは省略され、通風器がガーランド形ベンチレーターの1列配置に改められた点が異なる。側面窓配置は d 2 D (1) 8 (1) D 3 でク2300形と同一であり、乗務員扉を備える側の妻面屋根部には前照灯の取付ステーが装着された状態で落成した。 その後、西部線の輸送力増強に伴う長編成運転を目的として、1941年(昭和16年)7月12日付設計変更認可にてモ800形およびク2250形・ク2300形全車を対象に、常用制動装置を従来のJ三動弁を用いる制御管式自動空気ブレーキから、ウェスティングハウス・エレクトリック (WH) 社の原設計に基く三菱電機製のM三動弁を用いた元空気溜管式自動空気ブレーキに改造した。モ800形に採用された制動装置はAMM、ク2250形・ク2300形に採用された制動装置はACMとそれぞれ呼称された。なお、サ2310形は改造対象から除外されたため、以降モ800形との編成の組成が不可能となり、沿線に軍需工場が多く存在したため太平洋戦争の本格化に伴って輸送力増強の必要性に迫られていた各務原線へ転属、他形式の付随車として運用された。 翌1942年(昭和17年)に、従来セミクロスシート仕様であったモ800形・ク2250形・ク2300形について車内座席のロングシート化改造を施工し、また同時期には西部線における電動車不足の解消を目的として、ク2250形およびク2300形の電動車化改造が施工された。なお、ク2300形の電動車化改造については、当初850系の制御車ク2350形を電動車へ改造する計画であったところ、ク2350形の流線形の前面形状が連結運転に不向きであることなどを理由に中途計画が変更され、ク2350形の電動車化改造用に調達した電装品をク2300形へ転用したものとされる。 電動車化改造後、ク2250形2251・2252は再びモ800形へ編入されてモ809・モ810と形式・記号番号を改め、ク2300形2301・2302はモ830形と新規形式に区分され、記号番号はモ831・モ832と改められた。新規形式区分が820番台を飛ばして830番台とされたのは、当時計画が具体化しつつあった西部線幹線区間の架線電圧1,500 V昇圧工事に関連して「モ820形」の導入が計画されていたためとされる。 また、同時期には従来マルーン1色塗装であった車体塗装について、順次ダークグリーン1色塗装への変更が本系列全車を対象に実施された。 モ800形・モ830形は太平洋戦争中における戦災による被災を免れたものの、前記した事情から度重なる空襲被害を受けた各務原線にて運用されたサ2310形のうち、サ2314・サ2315の2両が空襲により車体を全焼、終戦後間もなく応急的に修復されて運用に復帰した。
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