モンゴル帝国の侵入とは? わかりやすく解説

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モンゴル帝国の侵入

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 19:12 UTC 版)

ジャラールッディーン・メングベルディー」の記事における「モンゴル帝国の侵入」の解説

詳細は「モンゴルのホラズム・シャー朝征服」を参照 1219年秋よりモンゴル帝国ホラズム・シャー朝への攻撃開始されると、アラーウッディーンはトランスオクシアナ放棄して逃亡するモンゴルのホラズム・シャー朝征服)。この時にジャラールッディーン退却反対し、自分に軍を預けるよう説いたが、アラーウッディーンは彼の切望を容れなかった。 アラーウッディーンがモンゴル軍攻撃避けてカスピ海小島アバスクン島(英語版)に逃れた時、ジャラールッディーンも弟のウズラグ・シャー、アークシャーと共にアバスクン島に落ち延びたモンゴル攻撃が始まる前にホラズム・シャー朝皇太子指名されていたのは末弟のウズラグ・シャーであったが、病床にあったアラーウッディーンはジャラールッディーンが国を救え人物であるとして、ウズラグ・シャーに代わって彼を後継者指名した。父が病死した後にジャラールッディーンはウズラグ・シャーらと島を脱しマンギスタウ半島経て首都クフナ・ウルゲンチ帰還し1221年スルターン即位した彼の入城クフナ・ウルゲンチ市民より歓迎受けたが、ホラズム・シャー朝軍隊中心を成すカンクリ族の集団は、傀儡適したウズラグ・シャーを擁立するため、ジャラールッディーン殺害しよう企み巡らせた。陰謀察知した彼はただちにクフナ・ウルゲンチ脱しモンゴル帝国追撃逃れた将校ティムール・メリク合流した後、モンゴル包囲網破ってニシャプール逃れた4日間のニシャプール滞在の後、1221年2月10日ニシャプール発ちモンゴル軍追撃かわして領地ガズナ辿り着いたジャラールッディーン留守中、ホラズム・シャー朝将軍たちがガズナ支配権巡って争っていたが、ジャラールッディーンは彼らホラズム人間カンクリ族、加えてゴール人やトゥルクマーンなどの現地民族糾合して兵を集め、その数は60,000から70,000人にのぼった同年春にワーリヤーンをモンゴル軍包囲から救いモンゴル軍司令官シギ・クトク率い30,000モンゴル軍カーブル近郊のパルワーンで破って大勝収めるパルワーンの戦い)。 しかし、パルワーンの戦い得た戦利品分配巡って問題が起こる。カラジ族とトゥルクマーン指導者であるサイフッディーン・アグラークやゴール人の指導者アザム・マリクら、ジャラールッディーン裁定不服とした一団が軍より離脱しホラズム軍の兵数半減したシギ・クトク敗戦の報を受けたチンギス・カンは、中央アジア駐留していた本軍率いてアフガニスタン急行しチンギス・カン接近知ったジャラールッディーンは南に退却するモンゴル軍インダス河畔でジャラールッディーン追い付き包囲攻撃によってホラズム軍を壊滅追い込んだインダス河畔の戦い)。ジャラールッディーン700人の兵士率いて数度突撃敢行するモンゴル包囲突破できず、最後突撃モンゴル軍をひるませた後、鎧を脱いで乗馬もろともインダス濁流飛び込んだ。彼は盾を背負って旗を握った状態で馬に乗ってインダス川渡り切り、河畔着いたチンギス・カン追撃行おうとする兵士止め付き従う皇子たちに彼を模範とするように言った彼に続いて川に飛び込んだホラズム兵の多くモンゴル軍射殺され彼の家族捕らえられ男児処刑された。

※この「モンゴル帝国の侵入」の解説は、「ジャラールッディーン・メングベルディー」の解説の一部です。
「モンゴル帝国の侵入」を含む「ジャラールッディーン・メングベルディー」の記事については、「ジャラールッディーン・メングベルディー」の概要を参照ください。

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