モンゴル帝国の形成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 07:13 UTC 版)
詳細は「モンゴル帝国」を参照 イェスゲイ・バアトルの子テムジンは周辺諸族を取りまとめ、1206年にチンギス・カンに即位し、イェケ・モンゴル・ウルス(大モンゴル国)を建国した。通常この政権をモンゴル帝国と呼ぶ。モンゴル帝国はモンゴル高原を統一したのち、周辺の国々も併合していき、東は日本海、西はポーランド・ハンガリー、南はチベット・イランにいたるまでの版図を実現した。しかし、14世紀初頭になると、その巨大な帝国は東アジアの元朝、南ロシアのジョチ・ウルス、西アジアのフレグ・ウルス(イルハン朝)、中央アジアのチャガタイ・ウルス(チャガタイ・ハン国)の4国に分かれ、一種の世界連邦を構成した。そのうち中央政権である元朝が1368年に漢民族の明朝に打倒されると、それぞれの構成国家はそれぞれの歴史を歩むこととなる。
※この「モンゴル帝国の形成」の解説は、「モンゴル民族」の解説の一部です。
「モンゴル帝国の形成」を含む「モンゴル民族」の記事については、「モンゴル民族」の概要を参照ください。
- モンゴル帝国の形成のページへのリンク