モンゴル帝国のシルクロード統一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:20 UTC 版)
「貿易史」の記事における「モンゴル帝国のシルクロード統一」の解説
13世紀に入ると、シルクロードはモンゴル帝国の支配下に置かれる。モンゴリアを統一したモンゴル帝国は、イランのイスラーム王朝であるホラズム・シャー朝を攻める。モンゴルは当初はホラズム・シャーのもとにラクダ500頭の隊商を送るが、スパイの疑いをかけられて隊商が殺害されたため、モンゴルのホラズム・シャー朝征服が起きた。モンゴル帝国の征服は続き、東アジアから東ヨーロッパに及ぶ広大な領域を支配下に収めた。それまでのシルクロードは、東西で大きく勢力が分かれていたが、モンゴル帝国のもとで初めて統一された。モンゴル帝国はジャムチという駅伝制を定め、30キロから50キロ間隔で駅が置かれて、通行証として牌子を発行した。牌子の所持者は通行の安全が保証されるのに加えて、賦役や地方税が免除された。モンゴルの駅伝制はクビという再配分の制度から発祥しており、各地で得られた戦利品や富を輸送するためのものだった。再配分の物資を送る道は、交易路としても活用が進むようになる。クビの制度は人材の分配にも適用されて、多数の商人、使節、技術者が東西を移動した。モンゴルの整備された駅伝の様子は、ヴェネツィアからの旅行者であるマルコ・ポーロも記している。
※この「モンゴル帝国のシルクロード統一」の解説は、「貿易史」の解説の一部です。
「モンゴル帝国のシルクロード統一」を含む「貿易史」の記事については、「貿易史」の概要を参照ください。
- モンゴル帝国のシルクロード統一のページへのリンク