モンゴルの侵入と衰退の始まり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 09:51 UTC 版)
「イスラーム黄金時代」の記事における「モンゴルの侵入と衰退の始まり」の解説
11~12世紀に十字軍がイスラム世界へと度重なる侵攻を行ったが、最大の危機となったのは13世紀におけるモンゴル帝国の侵入であった。1206年、チンギス・カンはモンゴルを中心とする中央アジア一帯に帝国を築いた。その後モンゴル帝国は東は中国から西は古代イスラム帝国やキエフ大公国まで、ユーラシア大陸のほとんどの地域を征服した。通説では1258年のフレグによるバグダードの破壊がイスラーム黄金時代の終焉とみなされている。ティムールのような後年のモンゴル人による帝国のように、彼らは多くの街を破壊し、何百、何千という人々を虐殺した。この破壊行為はメソポタミア文明から続いてきた灌漑用式に取り返しの付かない損害を与えた。以後、モンゴル帝国に屈服したムスリムたちは南西部にあるメッカよりも北東部となる中国へ続く陸路と向き合うことになった。 次第に、西アジアに定住したモンゴル人の多くがイスラム教へと改宗し、多くはトルコのムスリムと同化していった。オスマン帝国は彼らの子孫によって建国されたものである[要出典]が、一般的にはモンゴル帝国による征服をもってイスラーム黄金時代の終わりとしている。
※この「モンゴルの侵入と衰退の始まり」の解説は、「イスラーム黄金時代」の解説の一部です。
「モンゴルの侵入と衰退の始まり」を含む「イスラーム黄金時代」の記事については、「イスラーム黄金時代」の概要を参照ください。
- モンゴルの侵入と衰退の始まりのページへのリンク