ミドとは? わかりやすく解説

アーメド・ホッサム

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 20:06 UTC 版)

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ミド
2008年のミド
名前
本名 アハマド・ホサーム・フセイン・アブドゥルハミード
أحمد حسام حسين عبد الحميد
Ahmed Hossam Hussein Abdelhamīd
ラテン文字 Mido
アラビア語 ميدو
基本情報
国籍  エジプト
生年月日 (1983-02-23) 1983年2月23日(38歳)
出身地 カイロ
身長 190cm
体重 81kg
選手情報
ポジション FW (CF)
利き足 左足
ユース
1990-1999 ザマレク
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2000 ザマレク 4 (3)
2000-2001 ヘント 21 (11)
2001-2003 アヤックス 40 (21)
2003 セルタ (loan) 8 (4)
2003-2004 マルセイユ 22 (7)
2004-2006 ローマ 8 (0)
2005-2006 トッテナム (loan) 36 (13)
2006-2007 トッテナム 12 (1)
2007-2010 ミドルズブラ 25 (6)
2009 ウィガン (loan) 12 (2)
2009-2010 ザマレク (loan) 15 (1)
2010 ウェストハム (loan) 9 (0)
2010 アヤックス (loan) 5 (2)
2011-2012 ザマレク 3 (2)
2012-2013 バーンズリー 1 (0)
1999-2013 通算 221 (73)
代表歴2
1999-2001 エジプト U-20 13 (0)
2001-2009 エジプト 51 (20)
監督歴
2014 ザマレク
2015 イスマイリー
2016 ザマレク
2016-2017 ワディ・デグラ英語版
2018-2019 アル・ワフダ
2019-2020 エル・マカーサ英語版
1. 国内リーグ戦に限る。2016年12月23日現在。
2. 2016年12月23日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ミドアラビア語: ميدو‎, ラテン文字表記: Mido)ことアハマド・ホサーム・フセイン・アブドゥルハミードアラビア語: أحمد حسام حسين عبد الحميد‎, ラテン文字表記: Ahmed Hossam Hussein Abdelhamīd, 1983年2月23日 - )は、エジプトカイロ出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはFW(センターフォワード)。

クラブ歴

アヤックス

2001-02シーズンよりアヤックス・アムステルダムへ加入する。初年度にリーグ戦12ゴールを記録し、クラブのエールディヴィジ制覇に貢献。2002年にはアフリカ年間最優秀若手選手に選出された。翌シーズンは序列を下げ、後半戦セルタ・デ・ビーゴ期限付き移籍。8試合出場4得点を記録する。セルタは完全移籍での獲得を希望したが、移籍金がネックとなり実現しなかった。

マルセイユ

2003年7月11日、移籍金600万ユーロでリーグ・アンオリンピック・マルセイユへ移籍[1]。同じく新加入のディディエ・ドログバと共にアラン・ペラン監督の下で前線を形成する。2004年4月14日のUEFAカップ準々決勝・インテルナツィオナーレ・ミラノとの第2戦、ドログバを累積警告で欠く中でこの試合唯一となる得点を挙げ、クラブの準決勝進出に貢献した[2]

イングランド時代

2004年8月31日、セリエAASローマへ移籍[3]。しかし出場機会は限られ、2005年1月26日にマルティン・ヨル率いるトッテナム・ホットスパーFCへ1年半の期限付き移籍となる[4]。2月5日のポーツマスFC戦でスタメンに起用されプレミアリーグでデビューすると、2ゴールを奪い3-1での勝利に貢献[5]。11月20日のウェストハム・ユナイテッドFC戦では相手サポーターから人種差別的なチャントを受け、ハマーズのアラン・パーデュー監督から謝罪された[6]2005-06シーズンで27試合出場11得点を記録。シーズン終了に伴いローマに戻るが[7]ルチアーノ・スパレッティ監督の構想には入らず2006年8月26日にスパーズへ完全移籍する[8]

2007年8月16日、移籍金600万ポンド(約13.5億円)の4年契約でイングランドのミドルズブラFCへ移籍した[9]。2008年11月29日のニューカッスル・ユナイテッドFC戦では、サポーターから再び人種差別的な扱いを受ける[10]。2009年1月23日には、エミール・ヘスキーの移籍でFWの層が薄くなっていたウィガン・アスレティックFCへシーズン終了までのローン移籍となり、代表でもコンビを組んでいるアムル・ザキとともにプレーした[11]

クラブは2008-09シーズンにリーグ19位となりチャンピオンシップへ降格。2009年夏にクラブはリロイ・リタを獲得しガレス・サウスゲート監督から放出を示唆される[12]。同年8月4日に母国のアル・ザマレクへローンで復帰したが[13]、2010年2月1日からシーズン終了までウェストハム・ユナイテッドFCへ期限付き移籍しイングランドに復帰した[14]

2010年9月1日にマルコ・パンテリッチの後釜として古巣アヤックスへシーズンローンで復帰[15]。マルティン・ヨルと再会しジョーカー的な役割として起用されたが、フランク・デ・ブール監督に代わってからは構想外となり、2011年1月21日、再びザマレクへ3年半の契約で完全移籍。かつてエジプト代表で険悪な関係となったハッサン・シェハータ英語版監督をクラブが招聘するため、2012年5月6日にザマレクを去る[16]。翌月21日にチャンピオンシップのバーンズリーFCへ完全移籍し、通算5度目となるイングランド復帰となった[17]

2013年6月11日、自身のTwitterで現役引退を発表した[18]

代表歴

マハムード・エル=ゴハリ監督によりエジプト代表に初招集されると、2001年1月6日の国際親善試合・UAE戦で代表史上最年少となる17歳でデビュー[19]。スタメンに名を連ねると50分に同点弾を挙げ、2-1での勝利に貢献した。

母国開催となったアフリカネイションズカップ2006では、1月20日に行われたリビアとの大会開幕戦で先制点を挙げ3-0の勝利に貢献した[20]

指導歴

2014年1月20日、キャリアをスタートしたアル・ザマレクの監督に就任[21]エジプト・プレミアリーグ史上最年少の指揮官となった[22]。クラブを同年のエジプト・カップ制覇へ導き、同大会最年少記録となった。しかしリーグ戦では3位に留まり、7月30日に解任された[23]

2016年1月4日から再びザマレクを指揮したが、翌月10日に解任となる[24]

2016年11月7日、ワディ・デグラSCの指揮官に招聘されることが発表された[25]

2018年12月にサウジ・プロフェッショナルリーグアル・ワフダ・メッカの監督に就任するが、翌年3月19日にTwitterでの発言が原因で解任された[26]

2019年6月9日よりミスル・レル・マカーサSCの指揮を執るが[27]、翌年1月22日に成績不振によりその職を解かれた[28]

人物

問題児として有名で数々の破天荒な言動が目立つ。

  • アヤックス在籍時はレギュラーとして活躍していたものの、ロナルド・クーマン監督と起用法を巡り対立し、シーズン中にエジプトに帰国する事態もあった。また、同僚であったズラタン・イブラヒモヴィッチとロッカールームで口論となった末にハサミを投げつけた[29]
  • 2006年に地元開催されたアフリカネイションズカップ2006では、準決勝のセネガル戦での途中交代に怒りを露わにし、衆人環視の中でハッサン・シェハータ英語版監督と小突き合いをし、半年間の出場停止処分を受けていた(後にミドが謝罪したため撤回)。
  • ミドルズブラ在籍時の2009年7月20日、プレシーズンのトレーニングに参加せず、給与の支払いを差し止められたことがある。

2002年に同郷のYosra Waelと結婚している[30]

現役引退後は体重が増加し一時150kgに達したが、医師の忠告を受け2018年に37kgの減量に成功した[31]

個人成績

代表

[32][33]


エジプト代表 国際Aマッチ
出場 得点
2001 14 7
2002 8 3
2003 8 6
2004 4 0
2005 5 3
2006 6 1
2007 2 0
2008 2 0
2009 2 0
合計 51 20

監督成績

2020年1月21日現在[34]
クラブ 就任 退任 記録
試合 勝率 %
ザマレク 2014年1月21日 2014年7月29日 31 16 8 7 051.61
イスマイリー[35] 2015年7月15日 2015年12月20日 9 5 1 3 055.56
ザマレク 2016年1月4日 2016年2月9日 7 4 1 2 057.14
ワディ・デグラ 2016年11月8日 2017年12月3日 42 10 14 18 023.81
アル・ワフダ 2018年12月17日 2019年3月19日 13 6 3 4 046.15
エル・マカーサ 2019年6月9日 2020年1月21日 17 3 5 9 017.65
合計 119 44 32 43 036.97

タイトル

現役時代
クラブ
ザマレク
アヤックス
代表
エジプト
個人
指導者時代
ザマレク

脚注

  1. ^ Mido makes Marseille move”. UEFA.com (2003年7月11日). 2021年5月10日閲覧。
  2. ^ Mido guides Marseille through”. BBC Sport (2004年4月15日). 2021年5月10日閲覧。
  3. ^ Roma move for Mido”. UEFA.com (2004年8月31日). 2021年5月10日閲覧。
  4. ^ Tottenham pull off double signing”. BBC Sport (2005年1月26日). 2021年5月10日閲覧。
  5. ^ FOOTBALL: The Mido touch transforms Spurs with debut double”. The Independent (2005年2月6日). 2021年5月10日閲覧。
  6. ^ Pardew apologises for Mido abuse”. BBC Sport (2005年11月24日). 2021年5月10日閲覧。
  7. ^ Tottenham part company with Mido”. BBC Sport (2006年5月26日). 2021年5月10日閲覧。
  8. ^ Tottenham agree deal to sign Mido”. BBC Sport (2006年8月29日). 2021年5月10日閲覧。
  9. ^ Middlesbrough finalise Mido move”. BBC Sport (2007年8月16日). 2021年5月10日閲覧。
  10. ^ Boro & FA angry over Mido action”. BBC Sport (2008年12月10日). 2021年5月10日閲覧。
  11. ^ Wigan sign striker Mido on loan”. BBC Sport (2009年1月23日). 2021年5月10日閲覧。
  12. ^ Tuncay and Mido set for Boro exit”. BBC Sport (2009年7月23日). 2021年5月10日閲覧。
  13. ^ Mido completes move back to Egypt”. BBC Sport (2009年8月4日). 2021年5月10日閲覧。
  14. ^ Mido & Ilan join West Ham on loan”. BBC Sport (2010年2月1日). 2021年5月10日閲覧。
  15. ^ Middlesbrough striker Mido returns to Ajax”. BBC Sport (2010年9月1日). 2021年5月10日閲覧。
  16. ^ Zamalek force out Mido in a bid to lure back Shehata”. BBC Sport (2012年5月24日). 2021年5月10日閲覧。
  17. ^ Mido joins Championship side Barnsley”. BBC Sport (2012年6月21日). 2021年5月10日閲覧。
  18. ^ ミド、30歳での現役引退を発表 Qoly.jp、2013年6月12日
  19. ^ Mido: The Games That Changed My Life”. FourFourTwo (2018年10月4日). 2021年5月10日閲覧。
  20. ^ Egypt 3 - 0 Libya”. The Guardian (2006年1月20日). 2021年5月10日閲覧。
  21. ^ 問題児として知られたミド、ザマレクの監督に就任 Qoly.jp、2014年1月22日
  22. ^ Mido named as new Zamalek coach”. BBC Sport (2014年1月22日). 2021年5月10日閲覧。
  23. ^ Zamalek end the reign of coach Mido”. BBC Sport (2014年7月30日). 2021年5月10日閲覧。
  24. ^ Mido: Former Spurs forward sacked by Zamalek after 37 days”. BBC Sport (2016年2月10日). 2021年5月10日閲覧。
  25. ^ ‘Mido’ unveiled as Wadi Degla coach”. AfricanFootball (2016年11月8日). 2016年12月23日閲覧。
  26. ^ Ahmed Hossam Mido relieved of his duties as Al Wehda manager”. KingFut (2019年3月19日). 2021年5月10日閲覧。
  27. ^ OFFICIAL: Ahmed Hossam Mido named new Misr El-Makkasa manager”. KingFut (2019年6月9日). 2021年5月10日閲覧。
  28. ^ OFFICIAL: Mido sacked as Misr El-Makassa head coach”. KingFut (2020年1月22日). 2021年5月10日閲覧。
  29. ^ イブラは過去に殺されかけていた?…元同僚が“ハサミ事件”の全容を激白”. サッカーキング (2016年7月13日). 2021年5月10日閲覧。
  30. ^ Ajax's young pharaoh”. The Guardian (2003年2月16日). 2021年5月10日閲覧。
  31. ^ Mido: ‘The doctor said if I continued with my lifestyle I’d die before 40’”. The Guardian (2018年6月4日). 2021年5月10日閲覧。
  32. ^ Hossam, Ahmed 'Mido' - National-Football-Teams.com
  33. ^ Courtney, Barrie (2005年2月2日). “2001 Matches – Africa”. Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. http://www.rsssf.com/intldetails/2001af.html 2010年1月21日閲覧。 
  34. ^ FilGoal – زووم -انفوجرافيك – زمالك ميدو Vs زمالك حسام.. العميد يفوز دفاعيا”. 2016年1月4日閲覧。
  35. ^ FilGoal | اخبار |رسميا - ميدو مدربا للزمالك خلفا لباكيتا”. 2016年1月5日閲覧。

外部リンク

先代:
エルヴェ・ゼロ=レンビ
ベルギー
ベスト・アフリカン・プレーヤー
2001
次代:
ムムニ・ダガノ
先代:
ペドロ・マントラス
CAF
最優秀若手選手
2002
次代:
オバフェミ・マルティンス

ミド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 01:42 UTC 版)

えんそく」の記事における「ミド」の解説

Bass担当山梨県出身6月7日生まれA型えんそくリーダーフリーペーパーまほろば」の編集長務める。 自他ともに認める酒豪であり「普段から過激に酒を飲むし、休みの日はもっと過激に飲む」と発言し、特に焼酎黒霧島愛飲している。あまりに焼酎(ストレート)ばかり飲むため、体に悪いからとメンバー居酒屋などでミドが来る前に緑茶ハイ」を頼んでおいたというエピソードがある。とりあえずそれを飲むが、「焼酎を何かで割る意味がわからない」と発言したことがある結成から現在に至るまで幾度となくバンド名を改名したい」というメンバーからの提案対し、「えんそく屋号守り続ける」と言い、現在まで「えんそく」を貫いてる。 ミドの意向により、これまでのえんそくシングルにはリード曲カラオケVer.収録されている。("Instrumental"ではなく"カラオケ"なのがポイント) Vo.ぶうはミドについて「90年代生きるベーシスト」と語っている。 所持しているベース本数10本以上で事務所至るところ置いてあるほどである。

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