マキノプロへとは? わかりやすく解説

マキノ・プロへ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 06:32 UTC 版)

阪東妻三郎」の記事における「マキノ・プロへ」の解説

1923年大正12年2月牧野省三京都マキノ映画製作所結成するにあたりマキノ重役宮川斉が東京俳優募集に来たところ、阪妻に眼を止める阪妻は「これで成功しなければ二度と東京の土は踏まぬ」との一大決心片岡花、中村吉松京都入りマキノ・プロダクション入社マキノ・プロ月給六十円の大部屋俳優として転がり込んだ阪妻だが、当初役柄敵役脇役多かった。「御用御用」の斬られ役で、斬られては顔を変え幾度も立ち回りからんだが、顔が立派で柄も大きいため、どんなに変装して目立ってしまった。 1924年大正13年)、正月映画火の車お萬』で環歌子との共演当たり役となって、「あいつが出ると目立ってしかたがないから役をつけてしまえ」ということになり、『怪傑鷹』(二川文太郎監督)で高木新平相手役の「黒木源太」という悪役抜擢される。ところが「白面美剣士が敵役」というので、観客批評家驚かし、これが出世糸口となる。 続く日活之助映画マキノの初競作燃ゆ渦巻』(全四篇)で、途中から阪妻演じ駒井相模守の人気急上昇第四篇では主役林清之助が呆気なく死に阪妻相模守が主役になってしまった。この作品マキノ大い名声博し尾上松之助版を圧倒する評判得た。 ちょうどたまたま同じ下宿に、浅草ペラゴロ出身の、これも浪人の身の脚本家寿々喜多呂九平(『怪傑鷹』の作者)がおり、二人意気投合同年阪妻のために呂九平は『鮮血の手前・後篇』(沼田紅緑監督)の脚本書き下ろし同作阪妻第一回主演作となる。 『鮮血の手型』は、それまでのやたらと見得斬る歌舞伎スタイル立ち回り旧劇異なり阪妻激し剣戟リアルな演出が、映画界革命的な衝撃与えた以後、『恐怖夜叉』、『討たるる者』、『『江戸怪賊伝 影法師 前・後篇』、『墓石が鼾する頃』と、この寿々喜多呂九平組んだ阪妻人気不動とした作品群続きとりわけて虚無的反逆的な一連の傑作を、浅草オペラ出身アナキスト、漠与太平門下生二川文太郎監督なかでも大正14年の『江戸怪賊伝 影法師 前・後篇』は大好評で、時代劇俳優第一人者としての地位決定的なものとなる。

※この「マキノ・プロへ」の解説は、「阪東妻三郎」の解説の一部です。
「マキノ・プロへ」を含む「阪東妻三郎」の記事については、「阪東妻三郎」の概要を参照ください。

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