ポリネシア人の移住
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 22:45 UTC 版)
「オセアニア」を参照 有史以前、すでに太平洋の沿岸地域には人類が居住していた。しかし、太平洋中央部に点在する島々へと人々が移住するようになったのは、紀元前1500年ごろにニューギニアに居住していたラピタ人たちが、島伝いに沖へと乗り出していったものがはじまりと推測されている。彼らはまずニューギニアから近いメラネシアへと進出し、ビスマーク諸島には紀元前1300年、バヌアツには紀元前1000年、フィジーには紀元前900年、トンガには紀元前850年に到達した。この第一期の移住の波は、サモアでいったん停止した。その数百年後、サモアやフィジー、トンガといったポリネシア西部の島々から第二期の移住の波が起こり、ニュージーランド(アオテアロア)、マルケサス諸島、タヒチ、イースター島、ハワイなど残りの島々にすべて植民し、ヨーロッパ人が太平洋に到達する数百年前には、すでにポリネシア人は太平洋の隅々まで植民を終えていた。 「太平洋の諸島の歴史(英語版)」も参照
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ポリネシア人の移住
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 00:16 UTC 版)
海底火山の噴火によって形成された島に最初の移民がたどり着いた時期については諸説ある。文字記録がないため発掘調査における炭素年代測定が有力な調査手段とされ、従来は4世紀〜5世紀頃とする説や西暦800年頃とする説が有力だったが、近年の研究では西暦1200年頃ともいう。この移民は、はるか昔に中国大陸からの人類集団(漢民族の祖先集団)の南下に伴って台湾から玉突き的に押し出された人びと(→オーストロネシア語族を参照)の一派、いわゆるポリネシア人である。ポリネシア人の社会は、酋長を中心とする部族社会であり、酋長の権力は絶対で、厳然たる階級制度によって成り立っている。部族社会を営むポリネシア人にとって、偉大なる祖先は崇拝の対象であり、神格化された王や勇者たちの霊を部族の守り神として祀る習慣があった。タヒチでは、マラエと呼ばれる祭壇が作られ、木あるいは石を素材とするシンボルが置かれていたことからも、当時のラパ・ヌイでも同様に行われていたと想像できる。化石や花粉の研究から、当時のラパ・ヌイは、世界でも有数の巨大椰子(チリサケヤシの同種もしくは近縁種(Paschalococos(英語版)))が生い茂る、亜熱帯性雨林の島であったと考えられている。初期のヨーロッパ人来航者は、「ホトゥ・マトゥア」という首長が、一族とともに2艘の大きなカヌーでラパ・ヌイに入植したという伝説を採取している。上陸したポリネシア人は鶏と大型のネズミ、ラットを共に持ち込んで食用とした。
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