ボヘミアの封臣、衰退とは? わかりやすく解説

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ボヘミアの封臣、衰退

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 05:58 UTC 版)

シロンスク・ピャスト家」の記事における「ボヘミアの封臣、衰退」の解説

プシェミスウ2世ポーランド統一すると、弱小シロンスク諸公達は自分達を庇護してくれる強大な同盟者と結ぶ必要に迫られた。彼らはポーランド国家から分離しボヘミア王冠に属す臣下となることを選んだボヘミア王ポーランドヴァーツラフ3世暗殺されると、ボヘミア王継承要求者達が次々現れたのと同様にポーランド王位に関して大勢ピャスト家諸公達が後継者名乗り挙げた1327年ボヘミア王ヨハンポーランド王位獲得するためポーランド侵攻したハンガリー王カーロイ1世介入を受け、ヨハンはマウォポルスカから引き揚げたものの、帰途にグルヌィ・シロンスク(高地シロンスク)を領するピャスト家公爵達に自分宗主権認めさせた。1327年2月ポーランド領グルヌィ・シロンスクに属していた5つ公国ボヘミア王封臣となった。ニェモドリン公国チェシン公国ラチブシュ公国、コジュレ=ビトム公国オシフィエンチムザトル公国である。4月にはオポーレ公国ヴロツワフ公国ボヘミア王冠の属国となることを認めた1329年ヴワディスワフ1世短躯王)はドイツ騎士団との戦争乗り出したドイツ騎士団背後についていたのは、今やマゾフシェとドルヌィ・シロンスク(低地シロンスク)の諸公をも封臣として従えていたボヘミア王ヨハンだった。1329年4月から5月にかけ、ドルヌィ・シロンスクの諸公国は次々ボヘミア王冠に従属することを決めた。シチナヴァ、オレシニツァ、ジャガンレグニツァブジェク及びヤヴォルである。1331年グウォグフ公国もまたポーランド領域から分離したシロンスク・ピャスト家最後独立諸公となったシフィドニツァ公ボルコ2世1368年死んだ彼の未亡人アグネスはシフィドニツァ公国1392年に死ぬまで統治していた。ボルコ2世とその寡婦死後シロンスク・ピャスト家諸公全員が、主権保ちつつもボヘミア王冠の封臣身分となったボヘミア王ヨハン1335年ポーランドカジミェシュ3世大王)がシロンスク対す要求放棄するのを条件に、自らが続けてきたポーランド王位要求取り下げた。この取り決めトレンチーン和約締結、及び1339年ヴィシェグラード会議追認で公式のものとなったきわめて狭小な分領公国への分裂は、威信権力凋落をまねく結果となった多くシロンスク・ピャスト家諸公達は、今やいささか身に余る特権授けられ田舎大地主に過ぎなくなっていた。シロンスク・ピャスト家公爵中にはグウォグフジャガンヤン2世のように傭兵隊長として諸外国仕えた者もいれば、同族ヘンリク9世のように、ゴリアールしながらヨーロッパ中を放浪した者もいた。チェシン公プシェミスワフ1世オポーレ公ヴワディスワフ・オポルチクのようにボヘミア王家とハンガリー王家に家臣として活動する例もあった。13世紀14世紀シロンスク・ピャスト家人々は、ドイツはじめとする諸侯またはヨーロッパ王族家系通婚するのが普通だったが、後世になると諸侯より低い出自貴族結婚したり、はては富裕市民の娘と結婚する例も出たシロンスク・ピャスト家プロテスタント信仰を選ぶことによって、その威信を再び手に入れることが出来た1526年以降シロンスク支配していたカトリック擁護者ハプスブルク君主国対抗するため、一門公爵達はホーエンツォレルン家のようなプロテスタント支配者家系血縁関係を結ぶことで、政治的な支援受けようとしたのである。彼ら一族による最後の独自の政策と言えるものは、1526年レグニツァ公フリデリク2世ボヘミア次期国王候補となったこと、1668年レグニツァ公フリスティアンがポーランド次期国王候補になったことなどである(ポーランド国王自由選挙には、1668年以前にも何度候補者出した)。 15世紀から17世紀の間に、シロンスク・ピャスト家から出た数多く公爵家は次々絶えていった。1532年オポーレヤン2世善良公)が死ぬと、グルヌィ・シロンスクの大部分ボヘミア王国直接統治におかれた。1675年嫡出としては最後シロンスク・ピャスト家男子となるレグニツァ公イェジ・ヴィルヘルムゲオルク・ヴィルヘルム)が亡くなった1706年にはシロンスク・ピャスト家最後男子であるフェルディナント2世・ホヘンステイン男爵没し、翌1707年イェジ・ヴィルヘルムの姉カロリーナシャルロッテ)の死によって、ピャスト家属する者は1人もいなくなった

※この「ボヘミアの封臣、衰退」の解説は、「シロンスク・ピャスト家」の解説の一部です。
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