ASVペスカドーラ町田
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ASVペスカドーラ町田(エーエスヴイ ペスカドーラまちだ、ASV Pescadola Machida)は、日本の東京都町田市をホームタウンとする[1]、日本フットサルリーグ(Fリーグ)に加盟するフットサルクラブ。呼称はペスカドーラ町田である。
- ^ a b c d e f 『日本フットサルリーグ フットサル中期ビジョンと2018/2019シーズン以降の取り組みについて』(プレスリリース)日本フットサルリーグ、2018年1月18日 。2018年2月2日閲覧。
- ^ ペスカドーラ町田 チーム概要 Fリーグ公式サイト 2013年11月18日閲覧
- 1 ASVペスカドーラ町田とは
- 2 ASVペスカドーラ町田の概要
- 3 ユニフォーム
ペスカドーラ町田
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シュライカー大阪では2年連続で準優勝したが、2013年4月にはペスカドーラ町田に移籍。2013-14シーズンには3度目のベスト5に選出された。 2014-15シーズンはイゴールが守護神として出場した23節まで11勝9分3敗と好成績を残し、自身は23試合で39失点とリーグ最少失点を記録していたが、2014年11月30日の24節エスポラーダ北海道戦で左小指基節骨を骨折。この試合は痛みをこらえて最後までプレーしたが、残りのシーズンを棒に振った。試合翌日には流暢な日本語でツイートしている。 試合の最後に、私の左指はこっせつです。だから3ヶ月ぐらい休みです。昨日私はとてもかなしかった。でも今日からあたまきりかえて、なるべくはやくなおるようにがんばります — 2014年11月30日の負傷後(本人による日本語のツイート) 負傷後には選手登録からGKコーチ登録に変更され、試合の際はベンチから戦況を見守ったが、控えゴレイロの鈴木紳一朗がプレーした町田は24節から9戦全敗と絶不調に陥った。12月24日には回復途上ながら登録期限との兼ね合いで再び選手登録され、その後も最終節まで試合出場がなかったものの、最終節のシュライカー大阪戦で復帰して10連敗を阻止(引き分け)した。町田はイゴール離脱期間中にズルっと8位に後退しており、プレーオフ出場を逃した。2015年1月号のフットサルナビではタレントの加藤未央に密着された。 2015-16シーズン開幕前には選手間の投票によってキャプテンに就任した。2015-16シーズンの町田はレギュラーシーズンで2位となり、リーグ最少の65失点に抑えたイゴール自身は3年連続5度目のベスト5に選出された。日本の法務省に帰化申請を行い、2016年1月22日には日本国籍取得が発表された。4月には木暮賢一郎暫定監督によって日本代表候補に初選出され、ベトナム代表とウズベキスタン代表との親善試合に臨んだ。 7年前に、私は日本に来ました。(中略)最初は、日本には長い間いるつもりではありませんでした。でも、日本に着いた直後、私の気持ちは変わりました。(中略)この国と人々に永遠に感謝しています。この国で私は結婚したい女性と出会うことができ、いつか家族をはじめ、子どもも日本で育てたいと思います。(中略)私は日本国籍になったので、今日はお祝いする日です。これからも日本に恩返しできるように、努力します。私をずっと支えてくれたすべての人に感謝しています。そして、日本に、ありがとう! — 2016年1月22日の日本国籍取得後(本人による日本語のコメント)
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