ベストセラーによる知名度の向上
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「ジーン・ディクソン」の記事における「ベストセラーによる知名度の向上」の解説
ディクソンは占いや予言に関する著書を何冊も発表したが、彼女の予言を有名にしたのは、友人の作家ルース・シック・モンゴメリーの著書『予言の賜物 - 驚異のジーン・ディクソン』(1965年)である。この本は300万部売れたといい、ディクソン自身、自分の知名度を高めた要因として、ケネディ暗殺の予言を公表したこととこの本の存在を挙げていた。この本では、前述のように彼女が敬虔なカトリック信徒であることが表明されており、その予言能力が神から賜ったものであるとされている。前述のルーズベルトの件をはじめ、マハトマ・ガンジー、ダグ・ハマーショルド、マリリン・モンローなど、ディクソンの鮮やかに的中したとされる死の予言の多くはこの本に掲載されているものだが、それらはいずれも著書の刊行前に成就したものばかりで、事後予言にすぎないことが指摘されている。 もうひとつ、ジャーナリストのレニ・ノーバーゲンとの共著ということになっており、自伝と位置づけられることもある著書『私の人生と予言』(1969年)もミリオンセラーとなった。もっとも、この本に関しては、彼女の没原稿を書き直して出版したというアデル・フレッチャー (Adele Fletcher) に訴訟を起こされ、フレッチャーにも印税の5%を支払うよう裁判で命じられた。 モンゴメリーの著書を契機に知名度が上がったディクソンは、ギャラップ調査で「アメリカで最も賞賛される女性」の11位になったことがある。なお、ディクソンはモンゴメリーに対し、占星術は手間が掛かるからやらないという趣旨の発言をしていた。ただし、のちの著書には星占いを主題とする複数の著書が含まれている(後述の著書一覧参照)。ディクソン自身によれば、著名になるに従って、彼女のもとには世界中から相談の手紙が舞い込んだといい、それらに対して返事をしきれないことの埋め合わせとして、新聞などの星占い欄を担当するようになったという。彼女は自伝を公刊した1969年の時点でアメリカ国内の300以上の新聞に自分の星占い欄が掲載されていると主張しており、のちには世界各地の新聞にもジーン・ディクソン名義の星占い欄が掲載された。ただし、それらは名義だけ貸して執筆は別人が担当するというゴーストライターの手法で書かれたものもあったとされている。 ディクソンは前述のように自身の予言を神からの賜りものだと位置付けており、競馬の予想などの金儲けの手段には使わないと主張していた。しかし、友人たちの誘いで断りきれなかった時には、友人たちは出走していることさえ認識していなかった未勝利の馬に手持ちの金を全て賭け、見事に大当たりしたことがあったと、自伝の中で述べている。そのときにも、当たった大金を私利私欲には使わず、恵まれない子どもの就学支援にあてたという。 ディクソンは1964年に『児童援助基金』という、恵まれない子どもの教育を支援する財団法人を発足させており、自分が予言で得た収入はこの基金に回されると主張していた。この名誉会長に就任したのがFBI長官を務めたことがあるジョン・エドガー・フーヴァーである。ディクソンはしばしば学生運動や公民権運動が盛り上がる背後には、ソ連の大規模な暗躍があるという陰謀論的主張を行うことがあったが、これはFBIの意向を受けていたからだという指摘もある。なお、『児童援助基金』の活動については1970年代になって『ワシントニアン(英語版)』誌が批判的な記事を掲載し、45万ドル以上集まった寄付金のうち、実際に慈善活動に回ったのは5分の1に満たないと指摘した。ディクソンはこれに対して1億ドル以上の名誉毀損訴訟などもちらつかせつつ抗議し、実際に700万ドルの支払いを求める訴訟を起こしたが、棄却された。 ディクソン自身によれば、有名になるに従い、彼女が言ってもいない予言が一人歩きすることもあったという。たとえば、 ビートルズが飛行機の墜落事故に遭う(1964年) ピアスをつけた少女だけが1979年に奇病にかかってみんな死ぬ(1967年) 火星人が襲来して未成年者たちを略取する(1967年) 近くカリフォルニアが大地震で沈む(1969年) などである(括弧内は話題になった年)。これらはいずれも彼女自身は何も言っていなかったのに、ディクソンが予言したという触れ込みで広まってしまったといい、カリフォルニア地震のケースに至っては、騒ぎを沈静化するために記者会見まで開いたという。 彼女の予言を信じる有力者もいた。リチャード・ニクソンは彼の秘書ローズ・メアリー・ウッズ(英語版)を通じて、ディクソンの助言に従っていたとされ、少なくとも1971年に一度、大統領執務室で彼女と面会した。1972年にはミュンヘンオリンピック事件を受けてアメリカでテロが起きるというディクソンの予言を受けて、ニクソンはテロ対策の特別委員会 (cabinet committee) を組織した。また彼女は、ジョーン・キグリー(英語版)などとともに、ロナルド・レーガンが大統領だった時に、その妻ナンシー・レーガンに助言していた占星術師の一人だったという。
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