プロ入り初登板ノーヒットノーラン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 07:16 UTC 版)
「近藤真市」の記事における「プロ入り初登板ノーヒットノーラン」の解説
近藤はプロ入りして一軍での初登板となった1987年8月9日のナゴヤ球場での対読売ジャイアンツ戦において、日本プロ野球史上初の「プロ入り初登板ノーヒットノーラン」の快挙を達成する。 ルーキーの近藤が先発登板した背景には、巨人戦に執念を見せる中日監督の星野仙一が前日(8日)までに投手を使いすぎ、9日に先発させる予定だった江本晃一まで登板させてしまい、投げる投手がいなくなったと困り果てた投手コーチの池田英俊に対し、星野が「若いヤツがおるやろ」として、7日に一軍登録されたばかりの近藤の登板を決めたとされる。 近藤が首脳陣から先発を告げられたのは、試合開始直前、練習の終わった16時のことで、それまではチームメイトに冗談で「先発もあるかも」と言われて、近藤も「まさか」と答えていたが、告げられて「ハイ」と答えたという。既に先発を決めていた星野は球場に着くなり「今日は真一だったりしてな」と記者に言っているが、これを受けて対戦相手の巨人監督の王貞治は「いくら星野でもそこまではできないだろう」と答えたとされ、これを聞いた星野は「しめしめ」と思ったとされる。 18時20分、試合開始。先頭打者駒田徳広への初球は144キロのボール球となり、それを駒田がファールにして「緊張がとれた」ためか、カーブと速球で駒田を三球三振に仕留めている。1回裏、中日は巨人先発の宮本和知からゲーリーの適時打と落合博満の2ラン本塁打により3点を先制。3回表、前日本塁打を打っていた山倉和博に、この日巨人初めての出塁となる四球を出すが崩れずに抑えている。 5回終了時にチームメイトの石井昭男に「今日はヒット打たれてない」と言われて「やってやろう」と覚悟を決めたとしている。石井は近藤の向こう気が強い性格を知っていたから、あえて近藤に言ったとされる。7回表、仁村徹の失策から一死一塁で四番原辰徳を迎えてこの試合最大のピンチとなったが、カウント1ストライク2ボールからキャッチャーのストレートの要求に、近藤は3度首を振りストレートを投げ、その後、原を空振り三振に仕留めている。 9回表、二人をいずれも三塁ゴロに打ち取って二死にしたところで、この日30人目の打者となる篠塚利夫を迎える。2ストライク1ボールから外角いっぱいのカーブが決まり、見逃し三振に抑えて試合終了。思わずガッツポーズが出たと近藤は述べている。スコアは6対0、試合時間、2時間33分だった。 この試合を、近藤の母親がナゴヤ球場で観戦しているが、近藤の母親は、試合当日に放送されたCBCのサンデードラゴンズ内で久野誠が「先発がいないから近藤もあるかも」と言ったのを観て息子が登板するものと思い込み、急遽関係者に試合のチケットの手配を頼んだ。試合当日の巨人戦のチケットの入手は困難とされたが、偶然総合コーチの木俣達彦のチケットがキャンセルになった事から、球場での観戦が実現したものである。 近藤は「あれ(ノーヒットノーラン)がなければもう少し投げられたのでは」とよく言われると述べ、「でもあれがあるから覚えていて貰える」と答えている。この試合前のキャッチボールでは「体がぐーっと引っ張られた、誰かが引っ張っている感じ」になったとされ「それが理想の「タメ」になった」と答え、「あの感覚を探し続けた野球人生だった」と述べている。また、星野は後年「本当は、(巨人の打者が)鋭い打球を飛ばす度に、『これからの野球人生のために(ヒットを)打たれろ』と思いながら見ていた」と語っている。 なお、同じ左腕投手であり、彼の3年前に入団した山本昌は、当時は一向に芽が出ていなかったため、近藤のノーヒットノーランをテレビで見届けた後、「もうこれで俺はクビになるだろう」と思い込み、悔しさともどかしさでその夜は一睡も出来なかったと語っている。 チーム123456789RHE巨人 0 0 0 0 0 0 0 0 0 00 0 中日 3 0 0 0 3 0 0 0 X 68 1 (巨):宮本、岡本光、広田 - 山倉 (中):近藤 - 大石
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