バーガー及びレンキスト・コート時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 02:19 UTC 版)
「ウィリアム・J・ブレナン・ジュニア」の記事における「バーガー及びレンキスト・コート時代」の解説
より保守的なバーガー(英語版)・コートにおいても、ブレナンは断固として死刑に反対、かつ中絶の権利を支持する立場にあり、いずれの争点についてもその画期的判決の多数意見に加わっている(死刑についてファーマン対ジョージア州事件(英語版)(1972年)、中絶についてロー対ウェイド事件)。最高裁判所でも最も保守的なメンバーであったウィリアム・レンキストが長官の地位に上り詰め、ウォーレン・バーガー及び穏健派のルイス・パウエル(英語版)に代わってアントニン・スカリア及びアンソニー・ケネディが着任したことで、ブレナンはより頻繁に孤立した立場に置かれることになる。ブレナンの意見に賛同する判事がサーグッド・マーシャルしかいないこともときにあった。1975年の時点で、この二人がウォーレン・コートにおけるいわばリベラル派最後の生き残りとなっていたからである(バイロン・ホワイトは、レンキスト長官在任中の3人目の生き残りではあったものの、こと刑事被告人や中絶に関連した事件となると、頻繁に保守派に与した)。ブレナンとマーシャルはそのような同志的な関係にあったことから、強硬な保守派の反対と対峙する二人を合わせて「ブレナン=マーシャル判事」とそのロー・クラークたちから呼ばれることになった。ブレナンは、ファーマン事件において、死刑は「残酷かつ異常」(cruel and unusual)な刑罰を禁じた修正第8条に反すると思料すると言明し、その残りの最高裁判所判事在任期間中、死刑を科すことが支持された全ての事件において、反対の立場に回った。ブレナン自身が他の裁判官の見解を変えることはかなわなかったが、ハリー・ブラックマン判事は、ブレナン引退後の1994年に至ってついに上記見解に賛同することになった。 ブレナンは、(填補的及び懲罰的)金銭賠償を求めるにあたり、原告は、その訴訟原因(cause of action)として権利章典違反のみを主張すれば足りると判断した3つの最高裁判決の意見を執筆している。ビヴェンズ判決(英語版)において、ブレナンは、修正第4条(英語版)の不合理な捜索押収(英語版)条項に関して上記のとおり判示した。デイヴィス対パスマン事件は、元連邦下院議員に対する性別に基づく雇用差別に関する訴えであったが(1964年公民権法第7編は連邦職員を明示的にその適用対象から除外していた)、ブレナンは上記判決の理由付け(rationale)を、修正第5条デュー・プロセス条項(英語版)の構成要素である平等保護原則に拡大した。そして、死亡した連邦刑務所の受刑者遺族が提起した訴え(なお、原告は連邦不法行為請求権法(英語版)上の権利を訴訟原因とすることも可能であった)であるカールソン対グリーン事件(英語版)において、ブレナンは同理由付けを、修正第8条の残酷かつ異常な刑罰(英語版)条項へとさらに拡大した。 これと同時期に、ブレナンは、対人管轄権(英語版)についても、一貫的かつ拡張的な見解を採用し、それを推し進めた。ヘリコプテロス事件(英語版)では単独の反対意見を執筆し、そこで州の一般管轄を肯定するための「最小限の関連」(minimum contacts)の要件を非常に広く定義した。ワールドワイド・フォルクスワーゲン事件(英語版)及びアサヒ・メタル事件(英語版)における後に影響を及ぼした反対意見及び補足意見では、特別管轄の論点に関し、製造物責任関連訴訟において単に「通商の流れ」(stream-of-commerce)が認められれば足りると解した上で、インターナショナル・シュー社対ワシントン州事件(英語版)判決中の理論で示されたフェアネスの要件が果たす役割を強調している。ブレナンの理論により導かれる帰結は、特に企業を対象として州裁判所の管轄を拡張するものであった。州裁判所というのは、巨大で強大な力を有する企業の被告に比して、弱く小さい立場である原告らに対し、より同情的な判断を下す傾向がある。この過程で、ブレナンは当該争点に関してスカリア裁判官と頻繁に衝突した。また、シェーファー対ハイトナー事件(英語版)では、マーシャル裁判官の多数意見に対しても珍しく反対派に回った。 最高裁判所判事引退の年とその前年には、議論を呼んだテキサス州対ジョンソン事件及びアメリカ合衆国対アイクマン事件判決の各意見を執筆した。いずれの事件においても、裁判所は、アメリカ国旗の冒涜行為も修正第1条によって保護されると判示した。 1982年にブレナンの妻マージョリーが死去した。それから数か月後の1983年、ブレナンは77歳で、26年間その秘書として勤めていたメアリー・フォウラーと再婚した。同僚たちは、ブレナンが再婚したことを、次のように記された簡潔なメモによって知ることになった。「メアリー・フォウラーと私は昨日結婚し、バミューダへと発った」
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