ノーベル賞問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/18 18:10 UTC 版)
「レイモンド・ダマディアン」の記事における「ノーベル賞問題」の解説
2003年、ポール・ラウターバーとピーター・マンスフィールドがMRI関連の業績によりノーベル生理学・医学賞を受賞した。ノーベル賞では最大3人が同時受賞できることになっているが、ダマディアンは受賞を逃した。ノーベル賞が発表されるずっと以前からMRI開発における各人の貢献については議論があり、MRIについてなかなかノーベル賞が授与されなかったのも、ダマディアンの功績をどう評価するかで議論が分かれたためだと言われている。 ダマディアンは「自分とラウターバー」が発明者だと主張し、ラウターバーは自分だけだと主張していた。1997年、米国科学アカデミー (NAS) がMRI開発のマイルストーンの年表を作ったが、初期の12のマイルストーンのうち4つがダマディアンに関するものだった。類似の出版物の中では異例の期間を経て2001年にそれが出版されたとき、ダマディアンに関係するマイルストーンは掲載されなかった。本文ではダマディアンの技法について「悪性腫瘍を検出・診断するには臨床的に信頼できないものと判明した」としている。ダマディアンの弁護士がNASに脅迫めいた手紙を送ると、NASのウェブサイトの文言が更新されたが、それもダマディアンが満足するような内容ではなかった。2002年、ダマディアンは「もし私が生まれなかったら、MRIは存在していただろうか? 私は存在していたとは思わない。ラウターバーが生まれていなかったらどうだろう? そのときは結局私が発明していただろう」と述べている。 ニューヨークタイムスは次のように記している。 論争はダマディアン博士とラウターバー博士の間のもので、学界では長年知られていた。ノーベル委員会は物議をかもすような発明・発見には及び腰になるため、核磁気共鳴画像法に関してノーベル賞を授与することを避けるだろうと思われていた。ラウターバー博士は74歳で健康状態が思わしくなく、死後には贈呈できないノーベル賞を授与するなら今しかなかった。 ラウターバーとマンスフィールドのノーベル賞受賞が発表されると、2003年10月から11月にかけて「レイモンド・ダマディアンの友人たち」と名乗るグループがニューヨーク・タイムズ(2回)、ワシントン・ポスト、ロサンゼルス・タイムズ、スウェーデン最大の新聞ダーゲンス・ニュヘテルに「正さなければならない恥ずかしい間違い」と題してダマディアンが選考に漏れたことを批判する全面広告を出し、選考委員に再考を促そうとした。実際既に選考は済んでおり、受賞者は決定済みだったため、ダマディアンはラウターバーとマンスフィールドに対して、ダマディアンが同時受賞するのでない限りノーベル賞を辞退すべきだと提案した。何人かのMRI専門家がダマディアンを支持したが、ニューヨークタイムズのコラムニスト Horace Freeland Judson はダマディアンよりノーベル賞にふさわしかったのにノーベル賞を受賞できなかったリーゼ・マイトナー、オズワルド・アベリー、ジョスリン・ベル・バーネルを挙げ、ダマディアンらの動きを批判した。 ダマディアンはがん細胞をNMRの緩和時間の違いによって検出できるという仮説を立てただけで、画像を得る方法を開発したわけではない(示唆もしていない)という指摘もある。ラウターバーとマンスフィールドへのノーベル賞は「核磁気共鳴画像法」に対するもので、ダマディアンが除外されているのはもっともだとも言える。ラウターバーには仲間である研究者や科学者が味方についたが、ダマディアンは自身の特許で莫大な富を得た医学者とみなされていた。オレゴン健康科学大学のMRI専門家 Charles Springer は、学界全体で投票を行えば、ノーベル委員会の選考を支持する結果となるだろうと述べている。また、ダマディアンが多くの場面で科学者らしからぬ行動をとっているとし、例えば1977年の全身スキャナの発表で、どの部位の癌でも発見できると述べたのもそうだったと指摘する者もいる。ニューヨークタイムズはMRIは癌の初期診断ではなく場所の特定に使われているとしたが、これは話を単純化しすぎている。実際、MRIでしか診断できない癌(神経放射線学の分野など)は存在する。 ダマディアンは学会での過激な言動で知られ、キリスト教根本主義と若い地球説を信奉している。また、Institute for Creation Research の技術諮問委員会の委員でもある。哲学者マイケル・ルースはダマディアンのそのような信仰がノーベル賞を逃した原因ではないかと推測している。 ダマディアン自身は「あなたは創造論を信奉する科学者だからノーベル賞を受賞できないと言われたことは無かった。それが原因だったとしたら、私は何も知らなかった」と述べている。
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