ナチ政権の副首相時代とは? わかりやすく解説

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ナチ政権の副首相時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 07:56 UTC 版)

フランツ・フォン・パーペン」の記事における「ナチ政権の副首相時代」の解説

1933年1月30日1115分頃にヒトラー内閣成立したパーペン副首相プロイセン州首相に就任した。ナチ党からの入閣首相ヒトラー内相ヴィルヘルム・フリック無任所相プロイセン州内相ヘルマン・ゲーリング三人のみであり、その他の閣僚ヒンデンブルク大統領自らが選んだ国防相ヴェルナー・フォン・ブロンベルク除きパーペン選んだパーペンは「われわれは彼を雇ったのさ」「わたしはヒンデンブルク信頼されている。二ヶ月もしないうちにヒトラー隅っこのほうに追いやられてきいきい泣いているだろう」と語り、自らのヒンデンブルクへの影響力でもってヒトラー操り人形できるという幻想浸っていた。 ヒトラー2月1日国民へのラジオ放送で「二つ偉大な四カ年計画」を宣言して第一次四カ年計画発表した。しかし大の反共主義者であったパーペンは「あまりにスターリン主義的用語が多い」とヒトラー抗議した2月6日パーペンマイスナー助言によって明らかに違憲大統領緊急命令プロイセンにおける正常な統治関係確立のための緊急令」が発令された。パーペンは自らがプロイセン独裁権力を握るつもりで発令させたのだが、結局ヒトラー要求プロイセン州内相就任させていたヘルマン・ゲーリングプロイセンにおいて巨大な権限握ってパーペンプロイセン州首相の職をゲーリング譲り渡すこととなったヒトラー首相就任二日後の2月1日国会解散され選挙戦突入した2月11日パーペン国家人民党鉄兜団統合薦め「黒・白・赤」結成させた。3月5日総選挙が行われたが、ナチ党得票率43.9%を得て288議席獲得した。この選挙で、自身「黒・白・赤」から出馬して国会議員初当選した。 3月23日ヒトラー内閣憲法を除く全ての法律自由に公布できる権限を認め全権委任法可決された。パーペン政府国会から独立させるために全権委任法可決させることには当初から賛成だった。しかしこの全権委任法によって大統領存在形骸化し大統領信任背景にしたパーペン権力形骸化することになったパーペンそこまで考えが及ばなかったようである。 1933年7月パーペンヒトラー代理バチカン訪れたローマ教皇ピウス11世は「ドイツ政府がその指導者として共産主義ロシア断固反対する指導者を持つに至った事は大変に喜ばしい」と述べた。そしてドイツバチカンの間で政教条約締結された。この「ライヒスコンコルダート」により純宗活動としてのカトリック教会学校宣教活動ナチス政権承認し、また政治的カトリック中央党カトリック労働組合)の解散ローマ教皇庁承認した。またローマ教皇庁ドイツ国内カトリック神父に対してナチス政権忠誠を誓うよう命じたカトリック反体制運動頭を悩ませていたヒトラーは「カトリック今後ナチス体制全面的に支持することであろう」と期待感表明したパーペン秘書保守革命代表的な思想家であるエドガー・ユリウス・ユング(ドイツ語版)を起用するなど、思想的ナチス一線を画しており、次第ヒトラーとの溝は深まりつつあった。この頃ヒンデンブルク大統領瀕死重病であり、この後事態予断を許さなかった。パーペンナチス対抗する手段として帝政復活考えており、ヒンデンブルク帝政復活希望する遺言状を書かせ、彼の死後帝政復帰実現する計画建てていた。 1934年6月17日マールブルク大学過激ナチスおよびSAなどを批判する講演行った。この演説原稿秘書ユングもう一人秘書ヘルベルト・フォン・ボーゼ(ドイツ語版)、交通省海事局エーリヒ・クラウゼナー協力得て執筆されたものだった。これを受けたヒトラーらは激怒し宣伝ゲッベルス講演録の発表予定されていたラジオ放送禁止する措置をとった。しかしパーペン事前に原稿外国人記者外交官渡しており、内容広く知られることになった20日パーペンヒトラー対し演説発表できない場合辞職する抗議したヒトラー善処約束して慰留している。 6月30日ヒトラーによる突撃隊粛清である「長いナイフの夜事件発生した粛清知らされていなかったパーペンゲーリング抗議行ったが、この際親衛隊帰り道ふさがれて命を狙われた。しかしゲーリング庇護で命だけは助かった。しかし「マールブルク演説ドイツ語版)」に関係した秘書ユング、ボーゼは副首相官邸親衛隊により射殺された。またクラウゼナー海事局長もゲシュタポ本部殺害されている。パーペンその後自宅軟禁されつづけ、外部との連絡絶たれたが、ヒンデンブルク大統領個人的な信任厚かったため、殺害はされなかった。

※この「ナチ政権の副首相時代」の解説は、「フランツ・フォン・パーペン」の解説の一部です。
「ナチ政権の副首相時代」を含む「フランツ・フォン・パーペン」の記事については、「フランツ・フォン・パーペン」の概要を参照ください。

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