ドイツ海軍の防衛対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 21:32 UTC 版)
「ノルマンディー上陸作戦」の記事における「ドイツ海軍の防衛対応」の解説
ドイツ海軍のデーニッツはUボートを敵上陸に備え配備した。また、ドイツ海軍には開戦以前から大型艦は乏しく、しかも英軍の空襲からの損耗を避けるため北海へと移動し1944年にはフランスには、掃海部隊、哨戒・港湾防衛のための小艦艇が残存するだけであった。 6月6日01時00分にドイツ側司令部に最初の警報が入った。侵攻艦隊は航行中であったが、パリのクランケ提督は降下作戦の段階で主上陸作戦の開始と判断した。03時15分BdUデーニッツ提督は海軍軍令部第1課よりフランスの降下部隊の報告を受けた。03時20分ノルウェーの中央Uボートグループに警報が発令され、待機。03時45分にはフランス・ビスケー湾のラントヴィルトUボートグループにも警報が発令され35隻のUボートは「最後の出撃である。浮上して全速航行。攻撃する敵機は撃退せよ」との命令に従い行動した。さらに、05時には大西洋のスノーケル付きの改良Uボート5隻に全速でフランス西部へ向かえと指令が出された。しかし、1時45分にラントヴィルトのU256が哨戒機の攻撃を受けたのを皮切りに、6月7日までの24時間に4機の英軍機撃墜と引き換えに、6隻のUボートが重大な損傷を受けてブレストに帰還を余儀なくされた。また、ラ・パリスよりのケーテル大尉のU970と、大西洋からのバーデン中尉のU955は失われた。 水上艦隊は、ハインリッヒ・ホフマン少佐の第5水雷艇隊の水雷艇T28、メーヴェ、ヤグアーが第一陣として6月6日未明にル・アーブルから出撃した。3隻の水雷艇はソードビーチ沖の艦隊に対して雷撃を行い、自由ノルウェー海軍の駆逐艦スヴェンナー(HNoMS Svenner)を撃沈、攻撃後、敵弾を回避し帰還に成功した。シェルブールからも2個戦隊の水雷艇が出撃したが、こちらは連合軍艦隊と接触することができずに引き上げている。しかし、これらのドイツ海軍の抵抗は所詮“ノミが象を噛んだような”ものであり、クランケはこの日の日記に「このような優勢な敵に対しては、なに一つ効果的な打撃を与ええないことは明白である」と書いている。 ドイツ海軍は、6月8日から9日にかけてシェルブールの強化のためにビスケー湾を根拠地とする駆逐艦隊をブレストに移動させた。そして6月9日には、ドイツ軍駆逐艦隊は連合軍艦隊を叩くためにブレストを出港した。しかし、連合軍は事前にドイツ軍駆逐艦隊の動向を掴んでおり、3隻のドイツ軍駆逐艦に対して、8隻のイギリス、カナダ、ポーランド3か国海軍の駆逐艦が出撃、連合軍艦隊はブルターニュ半島沖でドイツ軍駆逐艦隊を捕捉し、ブルターニュ沖海戦によってドイツ軍は「Z32」と「ZH1」2隻の駆逐艦を失って壊滅状態となり、僅かに生き残った「Z24」も後に空襲で撃沈された。その後もル・アーブルのドイツ軍水雷艇部隊は損害を出しながらも、出撃を繰り返し戦車揚陸艦を撃沈するなどの戦果を挙げていたが、6月14日に325機のランカスターがル・アーブルを爆撃、13隻の水雷艇と多数の哨戒艇、掃海艇などが撃沈破されて、ル・アーブルで動ける艦艇は水雷艇1隻になってしまうなど壊滅状態に陥った。また、ドイツ海軍基地のあったブローニュ=シュル=メールも同様な爆撃によって、湾内の艦船の殆どが撃沈破されてしまい、早くも連合軍に対抗する海上戦力は壊滅状態となってしまった。
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