ドイツ海軍第28海軍基幹(訓練)大隊
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「ウジェーヌ・ヴォロ」の記事における「ドイツ海軍第28海軍基幹(訓練)大隊」の解説
反共フランス義勇軍団を除隊して東部戦線(ロシア)からフランスへ帰国した後、ウジェーヌ・ヴォロは民間人としての生活に戻った。 しかし、「ヨーロッパの運命がどうなるか分からない」(ナチス・ドイツとソビエト連邦のどちらが戦争に勝利するか分からない)状況での暮らしに満足できなかったヴォロは再び義勇兵になることを選び、1944年5月3日、カルヴァドス県カーンでドイツ海軍へ志願入隊した。 入隊後、1944年5月~6月の間にヴォロは他のドイツ海軍フランス人義勇兵と同様にアルザス・ゼンハイム親衛隊訓練施設(SS-Ausbildungslager Sennheim)駐屯中のドイツ海軍第28海軍基幹(訓練)大隊(Schiffsstammabteilung 28)第6中隊に配属され、6~8週間に渡る過酷な訓練(肉体鍛錬・基本教練)を受けた。 ゼンハイムでの訓練期間終了後の1944年7月1日、訓練の次の段階へ進むために第6中隊はドイツ西部の都市デュースブルクへ送られた。ここで第6中隊は名称を「第2中隊」に変更され、ドイツ海軍フランス人義勇兵たちは数ヶ月間に渡って武器教練、海軍の専門訓練、湖や河川におけるボート操作訓練を受けた。なお、ドイツ海軍時代にウジェーヌ・ヴォロは次のフランス人義勇兵と知己の仲になった。 フランソワ・アポロ(François Appolot) 元フランス陸軍第28要塞歩兵連隊(28ème RIF)の上級軍曹であり、1940年6月、フランスの戦いでドイツ軍の捕虜となった。1942年末、ナチス・ドイツの外国人労働者になることを選んで捕虜収容所から釈放され、後に東プロイセンのドイツの軍港(ピラウ、ケーニヒスベルク)で働いていた時に諸事情によってドイツ海軍へ入隊した。 ロベール・スーラ(Robert Soulat) 元フランス陸軍第24チュニジア狙撃兵連隊(24ème RTT)の伍長。フランスの戦いの最中の1940年5月19日から20日にかけての夜、ノール県ヴァランシエンヌ~カンブレー間の地区を奇襲したドイツ陸軍第7装甲師団(7. Panzer-Division:エルヴィン・ロンメル少将の部隊)の捕虜となった。 1943年初旬に捕虜収容所から釈放された後はナチス・ドイツ占領下のフランスへ帰国し、フランス国内のトート機関(Organisation Todt)で働いていたが、1944年5月15日にカーンでドイツ海軍へ志願入隊。まったく泳ぐことができない(いわゆるカナヅチ)にもかかわらずドイツ「海軍」へ志願入隊した変わり者であったが、ドイツ語の読み書き・会話能力は極めて優秀。 ピエール・スリエ(Pierre Soulier) 1943年にトート機関労働者警備隊「シュッツコマンド」(Schutzkommando (SK) / Organisation Todt)へ参加し、東部戦線(ロシア)で数ヶ月間勤務していたフランス人。1944年初旬にドイツ海軍へ志願入隊した。
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