テキストの発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 00:56 UTC 版)
トールキンがのちに『シルマリルの物語』となる物語を書き始めたのは1914年のことで、イギリス(イングランド)人の歴史と文化の起源を説明する、イギリスの神話を創り出すためだった。このころの物語の多くが、第一次世界大戦中、イギリス軍の士官だったトールキンが病でイギリスに帰還し、病院で療養しているときに書かれた。1916年の後半、彼は最初の物語である『ゴンドリンの陥落』を完成させた。 トールキンはこのときに書いた最初の物語群を"The Book of Lost Tales"(失われた物語の書)と名付けた。この名前はのちに『中つ国の歴史(英語版)(The History of Middle-earth)』の第1巻と第2巻のタイトルに使われ、この2巻はこの頃のテキストを収録している。『失われた物語の書』は、エリオル(Eriol, のちのバージョンでは、Ælfwine(エルフウィネ)というアングロ・サクソン人))という名の水夫によって語られる。彼はエルフの住む島、トル・エレッセア(Tol Eressëa)を見つけ、そこでエルフから彼らの歴史を教えられたという設定である。しかし、トールキンはこの作品を完成させることはなく、途中で放置して韻文作品「レイシアンの歌」("The Lay of Leithian")と「フーリンの子どもたちの歌」("The Lay of the Children of Húrin")の制作に取り掛かった。 『シルマリルリオン』が初めて完成した形で現れるのは、1926年の「神話の素描("Sketch of the Mythology")」においてである(これはのちに『中つ国の歴史』第4巻として公刊された)。「素描」はわずか28ページの要約で、トゥーリンの物語の背景設定を友人R. W. レイノルズに説明するために書かれた。なお、レイノルズには他にもいくつかの物語を書き送っていた。「素描」のあと、トールキンはこれより長いバージョンである『クウェンタ・ノルドリンワ(Quenta Noldorinwa)』を書き上げた(こちらも第4巻に収録されている)。『クウェンタ・ノルドリンワ』は、彼が完成させた『シルマリルリオン』の最後のバージョンである。 1937年、『ホビットの冒険』の成功に促され、トールキンはジョージ・アレン・アンド・アンウィン社に『クウェンタ・シルマリルリオン』という名を付けた『シルマリルリオン』の草稿を送った。これは未完成だったものの、以前のものよりさらに発展したバージョンだった。しかし、出版社はこの作品を不明瞭で「ケルト色が強すぎる」として出版を拒否し、代わりに『ホビット』の続編を書くことをトールキンに依頼した。彼は『シルマリルリオン』の改訂作業を始めたが、すぐに続編の執筆に移り、これが後に『指輪物語』になった。『指輪物語』が完成したあとも彼は『シルマリルの物語』の書き直し作業を続け、この2作を同時に出版することを強く希望するようになった。しかしそれが叶わないことが明らかになると、『指輪物語』の出版のための作業に集中した。その過程で『シルマリルリオン』は、『ホビット』の主人公であるビルボ・バギンズが晩年にエルフの史料を収集し編集されたものが後世に伝わったものという構想を練り上げるに至った。 1950年代後半、トールキンは『シルマリルリオン』に立ち戻った。しかし、この時期の執筆作業は、物語自体よりも作品の神学的、哲学的裏付けに関するものが多かった。この頃には、彼は最初期の段階に遡る、作品の根本的な部分に対して疑問を感じており、『シルマリルの物語』の「最終版」を完成させる前に、それらの問題を解決しておく必要を感じていたようである。アルダにおける悪の性質、オークの起源、エルフの習慣、エルフの再生(Elvish rebirth)の方法と性質、太陽と月の説話と「平たい」世界などの幅広いトピックがこの時期に書かれた。これ以降は、トールキンは若干の例外を除いて物語にほとんど変更を加えなかった。
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