チャイコフスキー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/20 14:54 UTC 版)
「チャイコフスキーとロシア5人組」の記事における「チャイコフスキー」の解説
「ピョートル・チャイコフスキー」も参照 チャイコフスキーは1840年に現在のウドムルト共和国、当時はロシア帝国領ヴャトカ州であった小さな町ヴォトキンスクに生まれた。早くから才能を見せた彼は5歳でピアノのレッスンを開始し、3年もしないうちに先生と同程度に手際よく音楽を理解するまでになった。しかし、両親が彼の音楽的才能にかける情熱はまもなく冷めてしまう。1850年に一家はチャイコフスキーをサンクトペテルブルクの帝国法律学校へとやることを決める。この学校の主な対象は貴族や上流階級ではなく、彼は公務員としてのキャリアを歩みはじめる。受け入れ最少年齢が12歳であったため、チャイコフスキーはサンクトペテルブルクにある帝国法律学校の予備学校の寮に入ることになった。これは一家が住むアラパエフスク(英語版)の家からは約1,300キロメートル離れていた。受け入れ年齢に到達したチャイコフスキーは帝国法律学校に入学、7年間の修習課程が始まった。 学校では音楽は優先事項ではなかったが、チャイコフスキーは級友と連れだって日常的に劇場やオペラ座に足を運んでいた。お気に入りはロッシーニ、ベッリーニ、ヴェルディそしてモーツァルトであった。学校には音楽の授業を受け持つためにピアノ製作者のフランツ・ベッカーが時おり訪れていた。チャイコフスキーがここで受けた正式な音楽の指導はこれだけだった。1855年からは父のイリヤ・チャイコフスキーが出資してニュルンベルク出身の著名なピアノ指導者ルドルフ・クンディンガーの指導を受けられるようになった。息子が音楽でキャリアを積むことに関して父がクンディンガーに尋ねると、彼はピョートルが優れた演奏家、ましてや作曲家になりそうな可能性は全く見られないと応じた。チャイコフスキーは課程を修了し、法務省の職に応募するようにと言われたのである。 1859年5月25日に卒業したチャイコフスキーは公務員の階級の中でも低い所に位置する名義参事官に就任した。6月15日にはサンクトペテルブルクの法務省に登用される。6か月後には副手、その2か月後には係長へと昇進している。続く3年間の公務員生活はこの役職に留まることになる。 1861年、チャイコフスキーはロシア音楽協会主催、ニコライ・ザレンバを講師に据えた音楽理論の講義に出席し、1年後にはザレンバを追ってサンクトペテルブルク音楽院へと入学している。心の中では「公務員ではなく音楽家になる運命であると自分が確信できるまで」官職は辞めないと決めてのことである。1862年から1865年にかけてザレンバの下で和声と対位法、フーガを学び、ルビンシテインには管弦楽法と作曲の指導を仰いだ。1863年にはついに公務員の職を辞して音楽の勉強に全力を注ぐようになり、1865年12月に晴れて卒業を迎えている。
※この「チャイコフスキー」の解説は、「チャイコフスキーとロシア5人組」の解説の一部です。
「チャイコフスキー」を含む「チャイコフスキーとロシア5人組」の記事については、「チャイコフスキーとロシア5人組」の概要を参照ください。
チャイコフスキー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 05:39 UTC 版)
「エフゲニー・ムラヴィンスキー」の記事における「チャイコフスキー」の解説
1956年および1960年にドイツ・グラモフォンにより録音されたチャイコフスキーの交響曲が有名である。1956年には交響曲第5番、第6番をモノラルで、1960年には第4~6番の3曲をステレオでレコーディングしている。特に1960年の録音はムラヴィンスキーとレニングラードフィルのコンビの実力を西側諸国にも知らしめた名盤とされており、幾度も再発売されている。後期の3交響曲は演奏頻度が高く、数多くのライヴ録音が残されている。特に交響曲第5番はムラヴィンスキーが生涯を通じて最も多く演奏した曲目であり、ムラヴィンスキーの演奏活動のほぼ全年代にわたる録音が部分録音を含め18種と大量に残されており、ムラヴィンスキーの解釈の変遷をたどることができる。 他にも幻想曲『フランチェスカ・ダ・リミニ』や『くるみ割り人形』、『イタリア奇想曲』、『眠れる森の美女』、『弦楽セレナーデ』等の録音も残している。 また、ピアノ協奏曲第1番はリヒテル他、有名ソリストと共演した録音が残されている。
※この「チャイコフスキー」の解説は、「エフゲニー・ムラヴィンスキー」の解説の一部です。
「チャイコフスキー」を含む「エフゲニー・ムラヴィンスキー」の記事については、「エフゲニー・ムラヴィンスキー」の概要を参照ください。
チャイコフスキー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 07:00 UTC 版)
「ハーメルンのバイオリン弾きの登場人物」の記事における「チャイコフスキー」の解説
実在する音楽家のはずなのだが、ハーメルの「花のワルツ」に感受性を刺激されたフルートの後ろにスタンドのように現れ憑依し、憤怒の形相で格闘技を駆使してバルーンを倒した。必殺技は「チャイコフスキーキック」「チャイコフスキーパンチ」「チャイコフスキースープレックス」。
※この「チャイコフスキー」の解説は、「ハーメルンのバイオリン弾きの登場人物」の解説の一部です。
「チャイコフスキー」を含む「ハーメルンのバイオリン弾きの登場人物」の記事については、「ハーメルンのバイオリン弾きの登場人物」の概要を参照ください。
チャイコフスキーと同じ種類の言葉
作曲家に関連する言葉 | チェルニー チマローザ チャイコフスキー テレマン デュカス |
固有名詞の分類
Weblioに収録されているすべての辞書からチャイコフスキーを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書からチャイコフスキーを検索
- チャイコフスキーのページへのリンク