タンパク質のフォールディングと最初の構造モデル
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「分子生物学の歴史」の記事における「タンパク質のフォールディングと最初の構造モデル」の解説
タンパク質のフォールディングの研究は、ハリエット・チック(英語版)とチャールズ・ジェームス・マーティン(英語版)がタンパク質の凝析が2つの異なる過程からなることを示した1910年の有名な論文に始まる。溶液からのタンパク質の沈殿の前には変性と呼ばれる別の過程が起こり、その過程でタンパク質は極めて可溶性が低くなり、酵素活性を失い、化学的な反応性が高くなる。1920年代の中盤、モーティマー・ルイス・アンソン(英語版)とアルフレッド・ミルスキー(英語版)は変性が可逆的な過程であると提唱した。それは正しい仮説であったが、初めは一部の科学者に「ゆで卵を元に戻す」 (unboiling the egg) と揶揄された。またアンソンは、変性は2状態 (「全か無か」) の過程であり、1つの大きな分子的な転換が可溶性、酵素活性、化学的反応性に劇的な変化をもたらすことを示唆した。さらに彼は、変性に伴う自由エネルギーの変化は、通常の化学反応に伴うものよりもずっと小さいことを指摘した。1929年、呉憲(英語版) (Hsien Wu) は、変性はタンパク質のアンフォールディング (フォールディングがほどける) 過程であり、アミノ酸側鎖の溶媒への露出を引き起こすコンフォメーション変化であるという仮説を立てた。この (正しい) 仮説によると、脂肪族で反応性の高い側鎖が溶媒に露出することで、タンパク質は可溶性が低く反応性が高い状態となり、特定のコンフォメーションが失われることで酵素活性は失われる。相当な妥当性があったものの、タンパク質の構造や酵素学の知見は乏しく、可溶性、酵素活性、化学的反応性の変化を説明する他の因子が存在する可能性があったため、この仮説はすぐには受け入れられなかった。1960年代初頭、クリスチャン・アンフィンセンは、リボヌクレアーゼAのフォールディングが他の外的な補因子を必要としない、完全に可逆的な過程であることを示し、フォールディングした状態がタンパク質の最小自由エネルギー状態であるという「熱力学仮説」を確証した。 タンパク質のフォールディングの仮説に続いて、フォールディングしたタンパク質構造を安定化する物理的な相互作用の研究が行われた。疎水性相互作用が重要な役割を果たすという仮説が、ドロシー・リンチとアーヴィング・ラングミュアによって彼女のシクロール構造を安定化する機構として提唱された。ジョン・デスモンド・バナールらの支持が得られたものの、この (正しい) 仮説は、1930年代にライナス・ポーリングらによって反証されたシクロール仮説と共に却下された。代わりにポーリングは、ウィリアム・アストベリーによって1933年に最初に推し進められた、タンパク質構造は主に水素結合によって安定化されているという考えを支持した。驚くべきことに、ポーリングの水素結合に関する誤った理論は、α-ヘリックスやβ-シートといった、タンパク質の二次構造要素についての正しいモデルをもたらした。疎水性相互作用が正当な名声を回復したのは、カイ・ウルリク・リンデルストロム=ラング(英語版)の研究に一部基づいてなされた、ウォルター・カウスマン(英語版)による変性に関する1959年の有名な論文によってであった。タンパク質のイオン性の性質はBjerrum、Weber、ティセリウスによって示されていたが、リンデストロム=ラングは電荷は一般的に溶媒と接触可能であり、互いには結合していないことを1949年に示した。 球状タンパク質の二次構造や低分解能の三次元構造は、初期は分析超遠心や流動複屈折(英語版)などの流体力学的手法で調べられていた。円偏光二色性、蛍光、近紫外・赤外吸収などのタンパク質を精査する分光学的手法が1950年代に発達した。タンパク質の原子分解能の構造は、X線結晶構造解析によって1960年代に、NMRによって1980年代に初めて解かれた。2006年の段階で、蛋白質構造データバンクには4万近くのタンパク質の原子分解能の構造が登録されている。より近年では、巨大な高分子複合体のクライオ電子顕微鏡解析や小さなタンパク質ドメインの構造予測が原子分解能に到達するための2つの手法として登場している。
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