ソロ活動~CD発売
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劇団脱退後、本格的にライブ活動や制作活動に移る。脱退後も、劇団SOSには音響として協力したり、客演として出演したこともあった。 ライブスタイルは、一人でシンセサイザーを3本~4本、ステージに持ち込み、演奏するというものであった。一人でもライブができるようにするため、MTRなどの機材も集めていた。搬入・搬出も自分一人で行い、運搬にはタクシーなども使用していた。使用機材はヤマハ製が多く、本人が言うには「ヤマハのピアノの音が一番好きだ」という理由からである。音源の制作は、作曲から編曲、録音、ミックスダウンまで全て本人が行っていた。 ライブ活動と同時に、インターネットを用いて楽曲の公開なども積極的に行っていた。当時ヤマハが運営していた「プレイヤーズ王国」等の、インストゥルメンタル部門では、上位を獲得していた。 しばらくライブ活動等を行っていると、レコード会社から声がかかるようになる。最初に声をかけたのは、インディーズレーベルのキラキラレコードであった。何とも言えない不思議なインストゥルメンタルの楽曲に心を打たれた社長は、オーディションを兼ねた、主催のライブ「Kirakira Night」に出演することを提案した。「Kirakira Night」出演後、レーベルのオムニバスアルバム「INFECTIOUS BOUTIQUE」(2005年)に2曲収録してもらうこととなる。この時、収録された楽曲は「大航海」と「静かの海」である。アーティスト名はこの時点では、「TN NETWORK」という名前で参加している。 このオムニアルバスは、視聴者が良いと思った曲を投票できるシステムになっていた。唯一のインストゥルメンタルの楽曲だったにもかかわらず、上位を獲得し、ソロアルバムの出版が決定した。すぐにでもアルバムの曲数はあったが、収録全曲をもう一度見直したいという意向から、発売は2006年6月とすることになる。この時からアーティスト名が「TN NETWORK」から本名の「二藤部冬馬」になる。これは、レーベル社長の提案であるが、「本名以上にインパクトのある名前はない」と言っていた。 アルバム発売に向けて、音源の編集、都内・地方でのライブ活動、CDショップでの営業活動などが激化していき、当時は30時間眠らないことが多々あったが、2006年6月25日(日)ソロアルバム「LUNALIAN」の無事発売に至った。この発売日は、二藤部が希望した発売日であるが母親の誕生日であった。アルバム名の意味は「月の人」という意味で、「月から地球を見たら、たった一つの故郷であり、地球人同士が争う必要のないように思える」という、少し優しい気持ちになれることを願った楽曲が込まれている。地元の山形でも話題となり、新聞などでも取り上げられた。出身の町では、町長や議員らもライブに駆けつけ協力した。また、出身の町でのライブ披露用に「大石田町町民歌」のアレンジも制作されている。インストゥルメンタルの楽曲として、アルバム「Side 3」にのちに収録されたが、実際にライブ等で歌ったのは、Ayumiとhirokeyである。 このころ、人の声が入った楽曲も制作したいと思っていた二藤部は、劇団時代の友人に頼み、ボーカル曲の制作もしている。アルバム「LUNALIAN」のライブ活動にも同行させ、披露している。楽曲は「偶然でもいい」という曲で、「feat. Ayumi」として、のちにアルバム「LUNA 2」に収録されている。 2007年には、大阪出身のアーティストhirokeyとユニット活動も行っていた。デジタルミュージック関連のイベントを通じで知り合い、もともとソロ活動をしていたhirokeyのキーボード・作詞など協力した。
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