セントローレンス‐がわ〔‐がは〕【セントローレンス川】
セントローレンス川
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セントローレンス川 | |
---|---|
延長 | 1,197 km |
平均流量 | 10,100 m³/s |
流域面積 | 1,030,000 km² |
水源 | オンタリオ湖 |
水源の標高 | 250 m |
河口・合流先 | セントローレンス湾 |
流域 | カナダ、アメリカ合衆国 |
セントローレンス川(セントローレンスがわ、英: St. Lawrence River、仏: Fleuve Saint-Laurent)は、北米大陸の五大湖と大西洋を結んでカナダ東部を東北に流れる河川である。水源である五大湖を含めればアマゾン川に次ぐ世界第2位の水量となる。サンローラン川ともいわれる。
地理
セントローレンス川はオンタリオ湖から始まり、ガナノクエ、ブロックビル、モリスタウン、オグゼンズバーグ、マシーナ、コーンウォール、モントリオール、トロワリヴィエール、ケベック・シティーを通り、世界でも最大級の三角江であるセントローレンス湾へと注ぐ。上流部はカナダのオンタリオ州とアメリカ合衆国のニューヨーク州を隔てる国境を形成し、その後はケベック州内を流れる。ケベック・シティー付近から潮汐がある。
オンタリオ湖の流出部からの長さは1,197kmで、もっとも遠い水源からでは3,058kmになる。五大湖も含む流域面積は1,344,200km×102であり、うち839,200 km×102がカナダ、505,000 km×102がアメリカ合衆国である。流域にはカナダのオンタリオ州とケベック州、アメリカ合衆国のイリノイ州、インディアナ州、ミネソタ州、ニューヨーク州、オハイオ州、ペンシルベニア州、バーモント州、ウィスコンシン州、ミシガン州が含まれる。
途中にはモントリオールの南のセントルイス湖、サラベリ・ド・ヴァレフィルドのサン=フランソワ湖(Lake Saint Francis)やモントリオール東のサン=ピエール湖(Lac Saint-Pierre)といった湖がある。また、アレクサンドリアベイおよびキングストン付近のサウザンド諸島、モントリオール島などを含むオシュラガ諸島(Hochelaga Archipelago)、ケベックシティ付近のオルレアン島などの島がある。オンタリオ湖を出たところにあるサウザンドアイランズ地方はセントローレンス諸島国立公園として国立公園に指定されている。
支流にはシャンプレーン湖からのリシュリュー川やオタワ川、サグネ川、サン=フランソワ川(Saint-François River)などがある。
生態系
セントローレンス川(サン=ローラン川)一帯にアメリカシラカンバ、ハンノキ属、ニレ属、Rhus typhina、シロスジカエデ、Cornus alternifolia、モミ属、カナダハシバミ、Sambucus pubens、カナダイチイ、トウヒ属などが生える多様な森林があり、河口干潟にはフトイ属のSchoenoplectus americanus、ワイルドライス、オモダカ属のSagittaria cuneataとSagittaria latifoliaなど、シャルルボア生物圏保護区のツンドラにはカルミア属、アカゲノイソツツジなど、クルムホルツにはクロトウヒ、バルサムモミなどが生える[1]。川とその周辺にはシロイルカ、オオカミ、トナカイ、ペンシルバニアピューマ、シロナガスクジラ、カナダガン、オオハクガンなどの動物が生息している[1][2][3]。
ケベックシティの東約80 kmに離れるセントローレンス川北岸のシャルルボア生物圏保護区は1988年にユネスコの生物圏保護区に指定され[1]、本流沿岸のサン=フランソワ湖[4]、サン=ピエール湖[2]、トゥルマント岬[3]、ベ・ド・リスル=ヴェルト[5]はラムサール条約登録地である。
歴史
1534年6月9日にフランス人探検家ジャック・カルティエが発見し、河川を航行した。名前の由来は、ローマのラウレンティウスの記念日である8月10日にカルティエが、初めてこの川の流域に入ったのに因んでと言われる[6][7]。当時はモントリオール付近にラシーヌ瀬があり、ここまでしか航行できなかったが、その後運河網の発達によりスペリオル湖まで航行可能となった。1959年にはセントローレンス海路が開通して、大型の船の通航が可能となった。
支流
下流より記載
- サグネ川
- サン=ピエール湖 - 本川の川幅が広がった部分
- リシュリュー川
- セントルイス湖 - 本川の川幅が広がった部分
- オタワ川
- オンタリオ湖
- トレント川
- ライス湖
- オトナビー川
- カチワノッカ湖
- オトナビー川
- ライス湖
- オスウェゴ川
- ナイアガラ川
- トレント川
経済
セントローレンス川は、大西洋と五大湖を結ぶ重要な商業水路となっている。米国とカナダに大きな経済効果をもたらし、貨物輸送は両国で450億ドルの経済活動と238,000人の雇用を生み出している[8]。船舶、港湾、ターミナル、水路インフラへのインフラ投資額は71億カナダドルである[8]。
経済コンサルタントのマーティン・アソシエイツが実施した「2018 Economic Impacts of Maritime Shipping in the Great Lakes-St.Lawrence Region」調査によると、五大湖・海路システムの貨物輸送はカナダと米国で450億ドルの経済活動と23万8000人の雇用を生み出すとされている。この調査では、セントローレンス海路閘門やスーロックなどの主要航路インフラによる特定の経済効果にも焦点を当てている。さらに、五大湖、接続河川、セントローレンス海路を通過した国内および国際貨物は、さらに70億ドルの経済活動を生み出し、港湾、ターミナル、船主、その他の関連企業への影響も含まれていると報告されている[8]。
関連項目
脚注
- ^ a b c “Charlevoix Biosphere Reserve, Canada” (英語). UNESCO (2018年10月31日). 2023年2月25日閲覧。
- ^ a b “Lac Saint Pierre | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org. 2023年2月25日閲覧。
- ^ a b “Cap Tourmente | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org. 2023年2月25日閲覧。
- ^ “Lac Saint-François | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org. 2023年2月25日閲覧。
- ^ “Baie de l'Isle-Verte | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org. 2023年2月25日閲覧。
- ^ 世界史の窓 カルティエ
- ^ ジャック・カルティエ - ウェイバックマシン(2015年4月23日アーカイブ分)
- ^ a b c “Economic Impacts” (英語). Great Lakes St. Lawrence Seaway System. 2023年2月16日閲覧。
セントローレンス川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/09 15:21 UTC 版)
「米英戦争の戦闘一覧」の記事における「セントローレンス川」の解説
カールトン島での事件(6月26日): アメリカの民間人1人と他の2人および1人の少年が、アッパー・カナダのキングストンの東約10マイル (16 km) にあるセントローレンス川上流のカールトン島で、イギリス軍ロイヤル古参兵大隊の軍曹1人と兵卒3名を捕虜にした異例の事件。この島は1794年にアメリカ合衆国に割譲されていた。この戦争で初の捕虜となった。 ニューヨーク州サケッツ港に対する最初の攻撃(7月19日): イギリス海軍が、オンタリオ湖東端にある小さな港で、アメリカ海軍の基地があったサケッツ港を攻撃したが、失敗した アメリカ軍ジュリア対モリア伯爵とグロスター侯爵の戦い、セントローレンス川(7月31日): アメリカ軍の小さなスクーナージュリアと、それより大きなイギリス軍艦船2隻が交戦し、引き分けに終わった戦い。イギリス軍艦船はニューヨーク州オグデンズバーグに係留されていたアメリカのスクーナー6隻を攻撃に向かっていた。エリザベスタウン沖で3時間交戦した後、イギリス軍艦船は攻撃を中断し、ジュリアはオグデンズバーグに戻った トゥイサント島での小競り合い、セントローレンス川(9月16日): オグデンズバーグのアメリカ軍小部隊が、セントローレンス川を遡ってくる平底船40隻のイギリス軍輸送船団を阻止しようとして失敗した試み アッパー・カナダのガナノクエへの襲撃(9月21日): サケッツ港を進発したアメリカ軍部隊が、セントローレンス川下流、キングストンから約20マイル (32 km) のガナノクエにあったイギリス軍補給基地を襲撃して成功した ニューヨーク州オグデンズバーグへの最初の攻撃(10月4日): イギリス軍によるオグデンズバーグに対する水陸両面からの攻撃。オグデンズバーグはセントローレンス川沿いに移動される物資の積み替え地点だった。イギリス軍はアメリカ軍の砲兵隊に撃退された アクウィサスネとフレンチミルズでの小競り合い(10月23日-11月23日): セントローレンス川に跨るインディアンの集落アクウィサスネのイギリス軍基地を、ニューヨーク州民兵隊が一時的に占領した。そこは現在のオンタリオ州、ケベック州、ニューヨーク州の州境が交わる所にある。その1か月後、セントローレンス川を遡って物資を運んでいたイギリス軍小部隊が、その基地と近くのアメリカ軍基地フレンチミルズを奪取した ローワー・カナダのラコールでの小競り合い(11月20日): ニューヨーク州境から約5マイル (8 km) 北にあるラコール川沿いの小村ラコールでの小競り合い。その結果が曖昧なまま、アメリカ軍はシャンプレーンまで引き返し、ヘンリー・ディアボーン少将はローワー・カナダ侵略の作戦を中止した。
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セントローレンス川
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「米英戦争の戦闘一覧」の記事における「セントローレンス川」の解説
アッパー・カナダのブロックビルに対する襲撃(2月7日): イギリス軍の部隊が脱走兵を捕まえるためにブロックビルからセントローレンス川を渡ってニューヨーク州に入った後、オグデンズバーグに駐屯するアメリカ軍部隊がブロックビルを襲撃した ニューヨーク州オグデンズバーグに対する2回目の攻撃(2月22日): アメリカ軍がセントローレンス川を使ったイギリス軍の物資の移動を妨害していたオグデンズバーグを、イギリス軍が攻撃して占領した ニューヨーク州サケッツ港に対する2回目の攻撃(5月29日): イギリス海軍が水陸両面からサケッツ港を攻撃したが成果は上がらなかった。これはアメリカ軍がジョージ砦を砲撃していることに対し、関心を逸らさせる意図があった USSイーグルとUSSグロウラーの捕獲(6月3日): シャンプレーン湖での密貿易を防止するためにリシュリュー川をパトロールしていたアメリカ海軍のスクーナーイーグルとグロウラーの2隻をイギリス軍が捕獲した。イギリス海軍はこれらをシャノンおよびブロークと改名し、シャンプレーン湖で就役させた ニューヨーク州ソーダスに対するイギリス軍の襲撃(6月19日): ニューヨーク州オスウェゴの南西約30マイル (48 km) のソーダス湾近くで、ジェイムズ・ヨー海軍代将の戦隊からの上陸部隊が襲撃した。イギリス軍は物資を押収した ニューヨーク州クランベリー・クリークでの小競り合い(7月19日): クランベリー・クリークを遡ってきたイギリス軍部隊と、セントローレンス川を遡って物資を輸送していたイギリスの平底船船団を攻撃して成功したアメリカ軍との小戦闘 ニューヨーク州とバーモント州に対するマレーの襲撃(7月29日-8月4日): イギリス軍がリシュリュー川やシャンプレーン湖沿いのアメリカ軍基地や町(シャンプレーンやプラッツバーグを含む)を襲撃し成功した。アメリカ海軍から捕獲して改名したシャノンとブロークを含むイギリス軍水上部隊が、ほとんど抵抗もなく、8隻の艦船を捕獲し、多くの公共資産を破壊し、有益な物資を押収した。イギリスはシャンプレーン湖を支配した アメリカ海軍スクーナー、ジュリアとグロウラーの捕獲(8月10日): イギリス海軍ジェイムズ・ヨー海軍代将の戦隊とアメリカ海軍アイザック・ショーンシー海軍代将の戦隊がオンタリオ湖で交戦中に、アメリカ海軍のスクーナージュリアとグロウラーが本隊と分離し、イギリス海軍に捕まった。ヨーはこれらをコンフィアンスおよびハミルトンと改名した ローワー・カナダのオーデルタウンでの最初の小競り合い(9月30日): 小戦闘。この後でアメリカ軍のウェイド・ハンプトン少将はリシュリュー川沿いにローワー・カナダを侵略する作戦を諦め、ニューヨーク州シャトーゲー川沿い上流のフォーコーナーズの村へ引き返した セントローレンス川でのウィルキンソンの方面作戦(10月-11月): サケッツ港からジェイムズ・ウィルキンソン少将の指揮するアメリカ軍がセントローレンス川を下り、シャンプレーン湖からリシュリュー川を北に上ってくるウェイド・ハンプトン少将の部隊と組んで、モントリオールに迫る作戦の一部。ハンプトンがシャトーゲーの戦い後に前進を中止し、ウィルキンソン隊はクライスラー農園の戦いで敗北した後、作戦は打ち切られた ローワー・カナダのミシスコイへの襲撃(10月12日): ローワー・カナダのミシスコイベイ(シャンプレーン湖北側の東盆地)にあるフィリップスバーグに対するハンプトン少将の命令による襲撃。襲撃の目的はバーモント州とローワー・カナダの間の密貿易を減らし、シャンプレーン湖からリシュリュー川を北に進んでいる自部隊から、イギリス軍の関心を逸らすことだった ローワー・カナダのシャトーゲーでの戦闘(10月26日): アメリカ軍がシャトーゲー川下流を守るイギリス軍を攻撃して失敗した。その後、ハンプトンはリシュリュー川沿いにカナダを侵略する作戦の中止を宣言し、ニューヨーク州プラッツバーグに戻った ニューヨーク州フレンチ・クリークでの小競り合い(11月1日、2日): ジェイムズ・ウィルキンソン少将の部隊がサケッツ港からセントローレンス川を下ってモントリオールに迫っていたときに、その前衛の進行をイギリス軍が妨害し嫌がらせしようとしたが決着は付かなかった アッパー・カナダのフープルズ・クリークでの小競り合い(11月10日): アッパー・カナダのロングソールト早瀬の下にあり、イギリス軍物資の揚陸と保管の地点だったコーンウォールに向かっていたウィルキンソン隊の前進を遅らせるために、イギリス軍が攻撃し成功した ローワー・カナダのクライスラー農園の戦い(11月11日): コーンウォール近くでウィルキンソン隊の後衛にイギリス軍が圧倒的な勝利を挙げ、ウィルキンソンに作戦の中止を決心させた
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セントローレンス川
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「米英戦争の戦闘一覧」の記事における「セントローレンス川」の解説
ニューヨーク州サーモン川沿いの襲撃(2月14日-24日): 2月初旬にジェイムズ・ウィルキンソン少将がフレンチミルズを明け渡した後、防御が無くなっていたアメリカ軍補給所をイギリス軍が襲撃した一連の行動。イギリス軍は、フレンチミルズ、マローン、コーナーズ砦、マドリード、ホプキントンの補給所から大量の物資を確保し、カナダに戻った ローワー・カナダのラコールでの2回目の戦闘(3月30日): リシュリュー川をローワー・カナダへ侵略しようとしたアメリカ軍の試みを終わらせた、イギリス軍の決定的な勝利 ニューヨーク州オスウィーゴに対する強襲(5月5日、6日): ニューヨーク州内陸部とオンタリオ湖の間で特に大きな軍需品と装備の重要な出荷点だったオスウィーゴを、イギリス軍が水陸協働で攻撃して成功した。この襲撃中にあまり防御されていなかったオンタリオ砦も占領した バーモント州オッタークリークでの小競り合い(5月14日): トーマス・マクドノーが指揮したアメリカ海軍戦隊がカッシン砦からの支援を受け、バーモント州バージェンスの造船所を攻撃しようとローワー・カナダのアイルオノワを出港してきたイギリス海軍の部隊を破った ニューヨーク州サンディクリークでの小競り合い(5月30日): オンタリオ湖南岸でオスウィーゴとサケッツ港の間を哨戒していたイギリス艦船7隻(陸兵も乗せていた)をアメリカ軍が待ち伏せした。川を遡ろうとしていたアメリカの船をイギリス戦隊が追うようにアメリカ軍が仕掛け、岸から攻撃を仕掛けた ローワー・カナダのオーデルタウンでの2回目の小競り合い(6月28日): この年春から夏に掛けて、ニューヨーク州とローワー・カナダの国境で起きた、一連の決着の付かない小競り合いの1つ プレボストのシャンプレーン湖方面作戦(8月30日-9月12日): ナポレオン・ボナパルトの退位後、ヨーロッパから北アメリカに送られた正規兵の援軍を得たイギリス軍が、リシュリュー川からシャンプレーン湖を通ってアメリカ合衆国への侵略を試みた作戦。この戦いでアメリカ軍が勝利し、戦争を終わらせるためのガンでの交渉に重大な影響を与えた。アメリカはシャンプレーン湖に対する排他的な権利を主張し、五大湖に対するイギリスの排他的権利を否定できた ニューヨーク州プラッツバーグでの戦い(9月11日): シャンプレーン湖で、トーマス・マクドノーの戦隊がアレクサンダー・マコーム准将の陸軍に支援され、イギリス軍ジョージ・プレボストの3個師団に支援されたジョージ・ダウニー海軍大佐の戦隊を決定的に破った。イギリスによるアメリカ侵略を終わらせた
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