ジャーナリスト・実業家とは? わかりやすく解説

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ジャーナリスト・実業家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 22:39 UTC 版)

田口卯吉」の記事における「ジャーナリスト・実業家」の解説

著述活動をはじめ、明治10年1877年)に自費出版で『日本開化小史』を刊行開始。翌明治11年1878年)には『自由交易日本経済経済論』を出版同年には沼間守一らの嚶鳴社設立島田とともに発起人として参加し演説活動行っている。 翌明治12年1879年)に大蔵省辞職し翻訳業を手がけつつ新聞への投書著述活動行い同年にはイギリスの『エコノミスト』誌を範とした『東京経済雑誌』を創刊し自由主義立場での論陣張った明治13年1880年)には東京府会議員となり、憲法制定や、条約改正などの政治問題に関して発言自由党機関紙自由新聞』の客員務める。 実業家としては、東京府知事高崎五六から提案された府の士族授産金処理事業として南洋交易引き受け明治23年1890年)に南島商会組織し貿易船天祐丸で南洋渡航を行う。東京株式取引所鉄道経営においては明治20年1887年)に両毛鉄道社長21年小田原電気鉄道現在の箱根登山鉄道取締役などを務める。 明治13年1880年12月から明治23年〈(890年7月まで)からまでの東京府会議員経て明治23年1890年)には府会副議長となる。 明治27年1894年)には尾崎三良らと帝国財政革新会結成しこの年には衆議院議員に当選する。以後明治27年1894年10月から明治38年1905年2月まで衆院議員務めた明治29年1896年)には進歩党結成明治30年1897年)には島田三郎らと財政整理期成同盟会を組織する明治31年1898年)、憲政党創設委員参加明治32年1899年)、法学博士授与される明治33年1900年)、義和団の乱に際して視察を行う。 晩年国史大系』、『群書類従』の編纂道筋をつけた。ほとんど独力で行われたこれらの編纂出版事業評して鳥谷部春汀は「利益のみを目的としては決し企てることができない文壇への慈善事業である」と賞賛している。 明治38年1905年)、慢性腎炎のため死去大正4年1915年)、従四位追贈された。

※この「ジャーナリスト・実業家」の解説は、「田口卯吉」の解説の一部です。
「ジャーナリスト・実業家」を含む「田口卯吉」の記事については、「田口卯吉」の概要を参照ください。

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