ジェラールによる型の説
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ジェラールは1838年にデュマの弟子となったが、最初に行なったのは複分解反応についての研究であった。 ジェラールは A-B + C-D → A-C + B-D という反応からすべての物質は2つの残基の接合子であると考えた。ただしジェラールは残基は反応の途中に現れる一時的な存在であると考えており、これが単離できたり、化合物の構成要素であるという根の説には反対であった。しかしながら、ジェラールの残基同士が接合するという考え方は根の説に取り入れられることになる。それと同時にジェラールはデュマの分類法をさらに進めた。1842年にヘルマン・コップ(英語版)が明らかにした、組成式が CH2 だけ異なる化合物の沸点の間に相関があるという報告を受けて、互いに組成が CH2 ずつ異なり、同じような性質を示す化合物群を相同列と呼んだ。これは現在の同族体の概念にあたる。 また、例えばフェノールとエタノールのように組成式がまったく異なるが同じような性質を示す化合物群を同型列、エタノールと酢酸のように化学反応で誘導されるが性質が異なる化合物群を異型列と呼んだ。しかし、この説もローランからはデュマの型の説と同様にそれぞれの列の共通点と相違点を説明できないということで批判された。一方、デュマとの間では説のプライオリティの争いが生じて関係が悪化することになった。 アレキサンダー・ウィリアムソンはジェラールの相同列の考えに基づいてアルコールをアルキル化して同じ相同列に属する別のアルコールを合成できるのではないかと考えていた。1850年にこの反応を行なったところ、得られたのは別のアルコールではなくエーテルであった。 1846年にローランは水、アルコール、エーテルがそれぞれ水の誘導体として表されるという水の型を提案していた。ウィリアムソンの実験結果はこの水の型の説を支持するものであった。さらにウィリアムソンはカルボン酸から当時はまだ知られていなかったカルボン酸無水物が得られるのではないかと推定した。このウィリアムソンの推定に基づいて1853年にジェラールはカルボン酸塩化物とカルボン酸塩からカルボン酸無水物が得られることを確認した。 また、デュマの弟子でジェラールとも親交があったアドルフ・ヴュルツが1849年に一級アミンを初めて合成した。翌年にはアウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマンが一級アミンがアルキル置換されたアンモニアであることを提案し、二級アミン、三級アミン、四級アンモニウム塩を合成し、アンモニアの型が存在することを提唱した。そこでジェラールは酸無水物の合成の実験を報告する論文の中ではこれらの知見をまとめ、すべての有機化合物が、水素、塩化水素、水、アンモニアの水素をアルキル基、あるいはアシル基で置換することで誘導できるという新しい型の説を提案した。 ジェラールは残基に対してそう考えたのと同様に、有機化合物の中に型に相当するものが実在するものとは考えていなかった。あくまで化合物の反応による誘導関係を示す分類であり、構造は意味していなかった。素直に考えれば塩化エチルは塩化水素型に属し、エタノールは水型に属することになる。しかしエタノールから置換反応によって塩化エチルが合成できるので、エタノールは塩化水素型に属するとしてもおかしくはない。このように考えると新しい型の説による化合物分類も無意味になりかねない。 実際、ケクレは最終的に原子価を導入した1858年の論文で、型による表現はその化合物が起こす反応を記述しているだけで、着目した反応によって同じ化合物に対し別の型による表現が用いられることを指摘している。しかしそのような問題が顕著になる前に型と原子価の対応関係が発見され、型の説は原子価説として再構成されたのである。 また、ジェラールの型の説ではアセトアルデヒドやアセトンのように、無機化合物のアルキルあるいはアシル誘導体とはみなせない化合物を分類の中にうまく位置づけることができなかった。ジェラールは最終的にはこれらの化合物をエノール型に相当する形で水の型に分類したが、今度はこれらの化合物の反応性をうまく説明するのは困難になってしまった。 ジェラールの型の説はそれを支持する化学者らによってさらに拡張された。1854年にはウィリアムソンはジェラールの型の説を拡張し、二重の水の型というものを導入した。ウィリアムソンは硫酸は2つの水の型からそれぞれ1つの水素がスルフリル根 (SO2) で同時に置換された化合物であると考えた。ここでそれまで暗黙のうちに考えられていた根は1価であるという前提が崩れた。スルフリル根は2価の根であるということになる。 1854年にロンドンに移り、ウィリアムソンやウィリアム・オドリング(英語版)と親交を結んだケクレは硫黄化合物についての研究を行ない、硫黄化合物が水の型と同様の硫化水素の型に従うことを示した。1855年にはオドリングはリン酸が三重の水の型で表現でき、ホスホリル根(PO)が3価であることを提案した。また、オドリングはチオ硫酸が水の型と硫化水素の型のそれぞれ1つの水素がスルフリル根で置換された化合物であり、複合型からなる化合物が存在することを示した。また、多価の基は1つの型の中の価数と同じだけの水素を置換することができることも示した。これによりアルデヒドやケトン、ニトリルのようなヘテロ原子との多重結合を持つ化合物も、型にうまく分類することが可能になった。
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