ジェノシデールとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ジェノシデールの意味・解説 

ジェノシデール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 23:46 UTC 版)

ジェノシデールフランス語génocidaire, 英語:genocidaires)は、本来は仏語で「虐殺者」を意味する語であるが、特にルワンダにおいては1994年ルワンダ虐殺下のジェノサイドに参加した者を指して用いられる[1]。『ジェノサイドの丘』日本語版はジェノシダレと表記している[2]


  1. ^ 武内進一「[書評 Scott StrausThe Order of Genocide: RacePowerand War in Rwanda]」『アジア経済』第49巻第1号、2008年1月、 88-92頁、 ISSN 00022942 p.89より
  2. ^ 「書評: フィリップ・ゴーレイヴィッチ著・柳下毅一郎訳『ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実』」p.47。
  3. ^ France accused on Rwanda killings”. BBC News (2006年10月24日). 2010年3月15日閲覧。
  4. ^ http://69.94.11.53/default.htm International Criminal Tribunal for Rwanda
  5. ^ United Nations. “Security Council reappoints Rwanda tribunal chief prosecutor For four-year term”. 2010年3月15日閲覧。
  6. ^ 武内進一 2002.
  7. ^ Robert Walker (2004年3月30日). “Rwanda still searching for justice”. BBC News. 2010年3月15日閲覧。
  8. ^ 『現代アフリカの紛争と国家』pp.395。
  9. ^ AFP通信 (2008年12月18日). “ルワンダ大虐殺の中心人物に終身刑、国際犯罪法廷”. 2010年3月15日閲覧。
  10. ^ 朝日新聞』 1996年05月31日 朝刊 1外 「ルワンダ虐殺の国際法廷開く タンザニア」
  11. ^ 『現代アフリカの紛争と国家』pp.414-415
  12. ^ 『現代アフリカの紛争と国家』pp.411-412。
  13. ^ Dictionary of Genocide", Samuel Totten, Paul Robert Bartrop, Steven L. Jacobs, p. 380, Greenwood Publishing Group, 2008, ISBN 0313346445
  14. ^ a b APPEALS CHAMBER DECISIONS”. International Criminal Tribunal for Rwanda. 2010年3月15日閲覧。
  15. ^ “Catholic Priest Athanase Seromba Sentenced to Fifteen Years” (プレスリリース), International Criminal Tribunal for Rwanda, (2006年12月13日), http://69.94.11.53/ENGLISH/PRESSREL/2006/503.htm 2010年3月15日閲覧。 
  16. ^ “Prosecutor to Appeal Against Seromba's Sentence” (プレスリリース), International Criminal Tribunal for Rwanda, (2006年12月22日), http://69.94.11.53/ENGLISH/PRESSREL/2006/507.htm 2010年3月15日閲覧。 
  17. ^ “ルワンダ国際犯罪法廷、カトリック司祭に終身刑”. APF通信. (2008年3月13日). http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2363448/2729565 2010年3月15日閲覧。 
  18. ^ Frank, Spalding (2008年). “Genocide in Rwanda”. The Rosen Publishing Group. pp. 36-38pages. 2010年3月15日閲覧。
  19. ^ 『現代アフリカの紛争と国家』pp.398
  20. ^ 『現代アフリカの紛争と国家』pp.399
  21. ^ http://www.csmonitor.com/2009/1006/p06s13-woaf.html
  22. ^ 『現代アフリカの紛争と国家』p.409
  23. ^ 『現代アフリカの紛争と国家』p.397
  24. ^ “ルワンダ大虐殺、当時の軍幹部に禁錮30年の実刑判決”. AFPBB NEWS. (2011年5月18日). http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2800750/7227886 
  25. ^ “DR Congo deports genocide suspect” (英語). BBC NEWS. (2009年9月20日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/8265842.stm 
  26. ^ Rewards for Justice "Félicien Kabuga"
  27. ^ “ルワンダ虐殺の容疑者逮捕 仏に潜伏、26年経て裁判へ”. 産経新聞. (2020年5月17日). https://www.sankei.com/article/20200517-FJVJIDHMA5NZ3GVYSOH44KMUEU/ 
  28. ^ Rewards for Justice "Augustin Bizimana"
  29. ^ 『現代アフリカの紛争と国家』p.396
  30. ^ “逃亡の国防相、既に死亡 ルワンダ虐殺国際手配―国際法廷”. 時事通信社. (2020年5月22日). http://www.jiji.com/sp/article?k=2020052201116&g=int 
  31. ^ Rewards for Justice "Fulgence Kayishema"
  32. ^ Rewards for Justice "Protais Mpiranya"
  33. ^ Rewards for Justice "Bernard Munyagishari"
  34. ^ Rewards for Justice "Pheneas Munyarugarama"
  35. ^ The Hague Justice Portal "Calendar of court proceedings before the ICTR"
  36. ^ Trial Watch "Aloys Ndimbati"
  37. ^ Rewards for Justice "Ladislas Ntaganzwa"
  38. ^ Rewards for Justice "Charles Ryandikayo"
  39. ^ Rewards for Justice "Charles Sikubwabo"
  40. ^ "UWINKINDI, Jean Bosco", 国際刑事警察機構、Last modified on 20 Nov 2009.



ジェノシデール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 00:14 UTC 版)

ルワンダ虐殺」の記事における「ジェノシデール」の解説

詳細は「ジェノシデール」を参照 ジェノシデールとは、ルワンダにおいてはルワンダ虐殺参加した者を指す言葉である。このジェノシデールの人数研究者によって大きく異なり、約1万人とする説から約300万人とする説まで存在しているが、多く場合でこれらの数字憶測基づいたものであった2006年報告され実証的研究によれば、1件以上の殺人行ったジェノシデールの数は、175000から21万人であると推定されており、これは当時フツ成人7-8%、フツ成人男性の14-17%に相当する値である。2000年時点では、拘留され被告人となっているジェノシデールは11万人であったが、2006年にはガチャチャ裁判進行などにより約8万人となった。ジェノシデールの大多数男性であり、女性全体の3%程度である。国家レベルから地域レベルに至るまで、ジェノシデールは社会あらゆる階層人々から構成されており、このジェノシデールを煽動指揮していたのは政治軍事、あるいは行政有力者であった。ジェノシデールの大半は普通のルワンダ男性であり、教育職業年齢子供数など何ら特異性のない一般的な社会集団から構成されていた。この一般的なジェノシデールは比較教育水準が低い若者多かったのに対し煽動指揮行っていた者たちは比較教育水準高く社会的地位の高い者が多かったことが報告されている。

※この「ジェノシデール」の解説は、「ルワンダ虐殺」の解説の一部です。
「ジェノシデール」を含む「ルワンダ虐殺」の記事については、「ルワンダ虐殺」の概要を参照ください。


ジェノシデール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/17 00:18 UTC 版)

インテラハムウェ」の記事における「ジェノシデール」の解説

1993年になってルワンダ愛国戦線(RPF)が再びルワンダ政府敵対的な態度取り出すと、それに伴ってインテラハムウェ内部でも親RPF派と反RPF派に派閥分かれ始めた前述通り1994年4月以前インテラハムウェ主たる役割は、党員拡大のための活動だったが、彼らはそのために暴力脅迫用いることを躊躇しなかった。インテラハムウェ限らず他党青年部同様のことを行ったが、暴力脅迫によって無理やり自党加入させる対立する政党の支持者を襲撃暴行加えるといった事件頻発したこのような暴力伴った政党活動のことをルワンダ人は皮肉交じりに「クボホザ」(kubohoza)と呼んだ。「クボホザ」とは、ルワンダ語で「解放する」という意味である。これによって、地方政党指導者発言力増したジェノサイド発生初期段階までは、インテラハムウェその他の民兵グループインプザムガンビインクバ、アバコンボジなど)とは協調した対立したりと行動まちまちだったが、1994年4月12日以降全ての民兵グループツチ殺戮乗り出したので、その違いはほとんどなくなったと言ってよい。 ルワンダ大虐殺から10年以上経っても、ジェノシデールの多くインテラハムウェだったと書かれたり解説されることが絶えないが、これは誤りであることが比較大規模なサンプリング調査により実証されている。同様にインテラハムウェとジェノシデールは混同され用いられているとICTR判決文でも認定されている。また、ジェノシデールの約90%は普通の農民であったことがわかっている。このような間違い起こった理由は、ルワンダでは虐殺事件最中から、インテラハムウェをジェノシデールと同一の意味乱用して使っていたため混同されてしまったからである。ただし、地方状況変えてツチ殺戮へ向かうように工作したり、襲撃先頭を切るなど、虐殺重要な位置占めていたこともまた事実である。 インテラハムウェは、RPF押し出されて、その後コンゴ民主共和国逃亡したまた、ルワンダ政府軍フツ軍)とほぼ全ての作戦行動共同行っているため、両組織区分曖昧で、ルワンダ解放軍(ALIR)と総称されている。

※この「ジェノシデール」の解説は、「インテラハムウェ」の解説の一部です。
「ジェノシデール」を含む「インテラハムウェ」の記事については、「インテラハムウェ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ジェノシデール」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ジェノシデール」の関連用語

ジェノシデールのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ジェノシデールのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのジェノシデール (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのルワンダ虐殺 (改訂履歴)、インテラハムウェ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS