コンラート・グレーバーとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > コンラート・グレーバーの意味・解説 

コンラート・グレーバー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 05:04 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

コンラート・グレーバー(Conrad Gröber、1872年4月1日 - 1948年2月14日)は、ドイツカトリック教会聖職者

経歴

フライブルク大学卒業後、教皇庁立グレゴリアン大学で神学博士号を取得。エッテンハイム助任司祭カールスルーエ聖シュテファン教会助任司祭コンスタンツのコンラディハウス(大司教区付属寄宿舎)院長(1901年 - 1905年)、コンスタンツ三位一体教会司祭(1905年 - 1922年)、コンスタンツ大聖堂、フライブルク大司教区指導委員(1922年 - 1925年)、司教座聖堂参事会員(1925年 - 1931年)を歴任し、1931年マイセン司教、1932年フライブルク大司教、オーバーライン管区首位大司教となった。

ベルンハルト・ヴェルテ秘書を務めていた。

哲学者マルティン・ハイデッガーとも親交があった。

著書

  • Geschichte des Jesuitenkollegs und -Gymnasiums in Konstanz, 1904
  • Der Altkatholizismus in Meßkirch, 1912
  • Das Konstanzer Münster. Seine Geschichte und Beschreibung, 1914
  • Die Mutter. Wege, Kraftquelle und Ziele christlicher Mutterschaft, 1922
  • Reichenauer Kunst, 1924
  • Heinrich Ignaz Freiherr von Wessenberg. Freiburger Diözesan Archiv, 55, 1927 und 56, 1928
  • Christus Pastor. Bildnisse des guten Hirten, 1931
  • Kirche und Künstler, 1932
  • Nationalkirche? Ein aufklärendes Wort zur Wahrung des konfessionellen Friedens, Herder, 1934
  • Vaterland und Vaterlandsliebe, 1935
  • Handbuch der religiösen Gegenwartsfragen, 1937
  • Die Reichenau. 1938
  • Der Mystiker Heinrich Seuse, 1941(中世の神秘家ハインリヒ・ゾイゼについて)
  • Das Leiden unseres Herrn Jesus Christus im Lichte der vier heiligen Evangelien und der neuesten Zeitgeschichte, 1946
  • Aus meinem römischen Tagebuch, 1947

関連項目


コンラート・グレーバー(Conrad Gröber)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:40 UTC 版)

マルティン・ハイデッガー」の記事における「コンラート・グレーバー(Conrad Gröber)」の解説

1872年4月1日生-1948年2月14日没。1891年から1893年までフライブルク大学神学専攻ローマ司祭専修コースのあるローマ教皇庁立グレゴリアーナ大学進学1898年神学博士取得。エッテンハイム助任司祭カールスルーエ聖シュテファン教会助任司祭1901年から1905年まで母校コンスタンツのコンラディハウス(大司教区付属寄宿舎院長1905年から1922年までコンスタンツ三位一体教会司祭1922年から1925年までコンスタンツ大聖堂フライブルク大司教区指導委員となり、1925年から1931年まで司教座聖堂参事会員となり、コンスタンツでは最も有名な人物であった1931年マイセン司教1932年フライブルク大司教オーバーライン管区首位大司教中世神秘家ハインリヒ・ゾイゼ(Heinrich Seuse)について著書書いた1933年それまで対立していた国民社会主義和解した。それはボルシェヴィズムへの不安のためであった1933年4月28日フライブルク教区信徒会議グレーバー大司教は「わずか数週間前には、まもなく全ドイツ席巻し、支配するものと我々が恐れぬわけにはいかなかった社会主義共産主義がいまや囚われの身となり、あるいはあわただしく逃亡の途にあります極端な無神論プロレタリア自由思想は、すなわち唯物論マルクス主義体制との、これら攻撃欲にみちた従者どもは、純然たる宗教的な意味においては片付けられたも同然あるよう思われます」と述べたグレーバー大司教にとってファシズムは「現代において最も力強い精神運動であった中央党機関誌ケルン国民新聞グレーバー大司教が「新し国家ナチスドイツ)を拒否してならない、これを肯定し、迷うことなく尊厳真摯をもってともに働くべきである」と述べた報じたグレーバー大司教ナチスドイツ公然と肯定した最初ドイツ人司教となったグレーバー大司教多血質かつ胆汁質感情爆発させる傾向があり、親衛隊友の会(Freundeskreis Reichsführer SS)に加入し1937年ハインリヒ・ヒムラーによってグレーバー除名された。その後1940年グレーバー大司教迫害されユダヤ人救助するためゲルトルート・ルックナー博士救援委任して資金援助行い何人かをスイス出国させることに成功した。ルックナーはゲシュタポ逮捕されラーフェンスブリュック強制収容所送られたが、生き延びた

※この「コンラート・グレーバー(Conrad Gröber)」の解説は、「マルティン・ハイデッガー」の解説の一部です。
「コンラート・グレーバー(Conrad Gröber)」を含む「マルティン・ハイデッガー」の記事については、「マルティン・ハイデッガー」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「コンラート・グレーバー」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「コンラート・グレーバー」の関連用語

コンラート・グレーバーのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



コンラート・グレーバーのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのコンラート・グレーバー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのマルティン・ハイデッガー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS