国鉄客車の車両形式
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/27 15:05 UTC 版)
国鉄客車の車両形式(こくてつきゃくしゃのしゃりょうけいしき)では、日本国有鉄道(国鉄)及び国鉄分割民営化により国鉄から車両を引き継いだJR各社が保有する客車の形式称号の付与方法について記述する。
注釈
- ^ 国鉄10系客車で「ナハ4両でスハ3両と同等」というのはこのため。
- ^ 重量記号の境目が全て2.5t/7.5tを境にしているのは、等級が5t刻みで区分されているためである。
- ^ 日本統治時代に大半の路線が敷設され、元が同じ規格である台湾の鉄道において、戦後単純な数字のみに書き換えながらも5t刻みの重量記号・換算両数の考え方はそのまま引き続き現在も用いている。
- ^ 基本的に、重量記号が変更されるとそれに伴い形式数字も変更された。但し存在時期が重なっていなければ重量記号のみが異なる形式番号が登場したこともある(例えばスハ36とオハ36は時期の異なる別形式)。
- ^ 時期が異なる別形式がある場合は、先に登場したもの。
- ^ これは、12系登場以前は特に系列としては意識されず十位の数字ごとに10個の形式数字(40台の場合は40 - 49)を使用していたものが、12系登場以降に新製された固定編成客車の系列の形式数字が他系列と重複しないように2種類ずつ(14系は14形と15形、24系は24形と25形等)が使用され、無闇に他の形式数字に飛ばすことが出来なくなったため。12系のジョイフルトレイン改造車では、重量等級のみ異なる別形式を起こすものの、車両番号は被らぬよう番号区分で飛ばすなどした。
- ^ 20系については、登場時は20番台としつつ形式番号の重複を避けており、新製形式においては同一用途の同一番号は存在しない。しかし、後に旧3等座席車→新制2等座席車→普通座席車の形式を寝台車に改造する際、ナハネフ22形・ナハネフ23形に変更せず用途号だけを変更したナハネフ20形・ナハネフ21形が出現している。
- ^ 民営化後はJR西日本35系客車の中間普通車3両のように、重量等級だけ異なる3両が全て同じ「35 4001」という国鉄末期でも存在しなかった重複した車両番号を持ち、しかも同一編成を組むに至っている。
- ^ この時点では殆どが非冷房車である。
- ^ 車軸駆動冷房装置も参照。
- ^ ただし、JR化後に新製されたの展望緩急車には「フ」の記号が用いられたものもあり、またJR北海道・ノロッコ号用のオクハテ510形には推進運転時用の運転台があるため制御車の記号である「ク」が用いられている。
- ^ 郵政省私有車は鉄道郵便廃止直後に全て廃車され現存しない。
- ^ 国鉄の現場や鉄道ファンからは「一般形客車」と呼称されることもあるが、実態は優等列車への使用を前提に製造された車輌群であり、三等車(普通車)に関してはその殆どがデッキ付きの2扉クロスシートで製造されている。当時は明確な用途を定められていなかったので、急行形や一般形といった区分も存在せず、新製車など状態の良い車両が優等列車で使用され、車齢の古くなった車輌が、後継車に置き換えられ、普通列車に使用されるようになっていた。[1][2]
- ^ 特別二等車と二等車格下げ車に使用されていた。
- ^ 元相模鉄道ホ1→買収ナハ2380→ナエ6561→ナエ2700、長らく隅田川、晩年は東横浜に配置された。[5]
- ^ オヤ19920は実際には救援車であったため、19900形オエ19928に改番。RP 58, 35--37.
- ^ 6760形6764 は現車はナヤ6764と表記されており、改番後も現車は ナル7530 と表記。RP 366, 63--66.
- ^ 「日本の客車」によれば辺境職員のレクリエーション目的に使用されたとある。
- ^ オヤ19900は元特別車のストク9010だが、1939年-1942年に救援車に改造されている。
- ^ 実際には3等代用として利用されていた。
- ^ 9910形ナヤ9910 は元職用車のナヤ9015だったが、その後救援車に改造されている。
- ^ 9920形オヤ9920 は事故廃車された オハ34 45 の振り替えのため、スエ30 1 に改番。
- ^ ホヤ16951 のみ ホヤ16860 に改番。
- ^ ホヤ16951 のみ ホヤ16860 に改番。他は16810形に改番。
- ^ 最初の気動車は蒸気動車であるが、それが(当初は内燃動車はなかったため)「自動車」「自働客車」などと呼ばれた[9]
- ^ 20000番台は必ずしも大形客車に限る訳ではなく、暖房車ホヌ20200(のちのホヌ30)などはかなり小さくても長軸のためこれに当てはめられた。ただし1928年改正では雑形に分類された。[12]
- ^ 30000番台は既に番号区分をはみ出した形式が使っていた。例:ナハ24400→34400以降。
- ^ 同様の考え方は、1928年称号規程以降のスハ32600形の系列等でも区分を変えつつ踏襲されている
- ^ 星晃によれば1941年に改番を失念したものではないかという[18]。
- ^ 上記1941年規定で3軸ボギー車の最初の形式番号であったため、鋼製初期の客車が37になることが多かったことによる。
- ^ 冷房装置の重量と車軸から動力を取るための走行抵抗の増加を合わせて5t分と見なすということである。
- ^ 定期列車でも、新幹線形式であるため等級号はつかないが、東北新幹線・北陸新幹線において3等制時代の2等車の系譜であるグリーン車のさらに上位のサービスとしてグランクラスが設定され、3段階のサービスとなっている。
出典
- ^ JTBバブリッシング 岡田誠一『国鉄鋼製客車I』 p.239
- ^ ネコ・パブリッシング『Rail Magazine』No.336 p.9
- ^ 『鋼製雑形客車』参照。
- ^ a b c d 星晃「車両称号規定の改正に伴う客車の改番について」。
- ^ 『鋼製雑形客車』pp.30 - 31, 34 - 35。
- ^ 名古屋配置。『鉄道ピクトリアル』360号、p.41。
- ^ 以下本節の記述は特記以外「オハ31形の一族」上巻 pp.62 - 73による。
- ^ この他に客車の分類には車運車「キ」、馬匹車「ム」が含まれていた。『百年史』4巻 p.133
- ^ 『日本の蒸気動車』上 p.2
- ^ 川上、上巻 p.121。
- ^ 『百年史』6巻 p.308の表を元にしたが左欄が「雑形」右欄が「基本形」とあるのを、川上、上巻 p.121により、修正するとともに、改訂経緯を記述。
- ^ 『国鉄暖房車』p.8
- ^ 『百年史』5巻 pp.593 - 594。
- ^ 1919年(大正8年)1月30日達46号で、1913年(大正2年)達第301号が廃止され改正されたものの改正。
- ^ 『鉄道公報』大正13年9月17日。なおこの頃はまだ積車・空車を盈車・空車と呼び表も盈・空で書かれているが現行に揃える。またこの表における重量記号の呼び方は「冠字」である。
- ^ 『最新客貨車関係法規便覧』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ^ 『百年史』11巻 p.700。なお10 - 29をこのとき使わなかったのは、10000・20000番台の木造客車がまだ多数在籍していたので混乱を避けるため。
- ^ 『国鉄暖房車』p.30
- ^ 『百年史』11巻 pp.238 - 239
- ^ 『鋼製雑形客車』p.29。
- ^ 星晃「鋼体化客車60シリーズ」。
- ^ 『国鉄客車1950』p.7。
- 1 国鉄客車の車両形式とは
- 2 国鉄客車の車両形式の概要
- 3 形式を表す番号
- 4 同一形式内の製造番号
- 5 参考文献
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