グレートプレーンズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/26 01:37 UTC 版)
グレートプレーンズ(北アメリカ大平原、Great Plains)は、北アメリカ大陸の中西部、ロッキー山脈の東側と中央平原の間を南北に広がる台地状の大平原。ロッキー山脈から流れ出る河川によって形成された多くの堆積平野の総称である。
気候
約1万年前の氷河侵食によって削られた五大湖沿岸の土壌が高気圧によって運ばれ、グレートプレーンズから中央平原にかけて堆積し、プレーリー土(肥沃な土)となった。よって、グレートプレーンズの東部は穀倉地帯となっている。西部は乾燥しており、企業的牧畜地帯となっている。平均年間降水量が約890mmから250mm程度と、乾燥した地域で、時折旱魃に見舞われる時があり、農家や牧場主の人達を悩ます時がある。
自然
グレートプレーンズから中央平原の西部は、プレーリーという草原地帯になっている。草原にアメリカバイソンやプレーリードッグなどの野生動物が生息している。西部の短草プレーリーの主な植物種はブルーグラマであり、ほかにスズメヒゲシバ、バッファローグラスも見られる[1]。東部の長草プレーリーの主な植物種はビッグブルーステム、リトルブルーステム、インディアングラス、スイッチグラスである[2]。
地下にはオガララ帯水層がある。
産業
豊かな草原が続き、西部では肉牛の放牧が盛んであり、北部では、トウモロコシ、大豆、小麦、綿花、テンサイ(ビート)などの主生産地である穀倉地帯となっている。
地下水は天然ガスを含んでおり、そのガス中から得られるヘリウムは世界生産の大半を占める。
住民
グレートプレーンズに住む住民(開拓住民)の事をプレーンズマン(plainsman)と呼ぶ。
アメリカ合衆国のグレートプレーンズ地帯は、世界で最も人口密度が低い農業地帯となっている。1930年代に起きた大恐慌以来、失業率が高い。人口も減少方向にあり、廃墟となった建物及びゴーストタウンと化した町や、放棄された農家の小屋の跡地がいくつか見られる。一方、グレートプレーンズには平原部族のネイティブ・アメリカンであるラコタ族やシャイアン族、クロウ族などが現在でも居住。それらのアメリカ先住民の人口は彼らが住む居住区がある郡では増えている。
また、グレートプレーンズに住む人々は、西部開拓時代の文化に愛着があり、ロデオやスタンピードと呼ばれる伝統的なダンスや競技などを行う祭り、それにカウボーイやアメリカ先住民などの文化を守って暮らしている。先住民族は保存区域に居住している。
範囲
アメリカ合衆国のテキサス州、オクラホマ州、ニューメキシコ州、コロラド州、カンザス州、ネブラスカ州、ワイオミング州、モンタナ州、サウスダコタ州、ノースダコタ州の全域およびミネソタ州とアイオワ州の大部分と、カナダのサスカチュワン州、アルバータ州の全域およびマニトバ州の大部分。
グレートプレーンズの総面積は約1,300,000km2で、アメリカ合衆国本土の6分の1を占める。境目は西部はロッキー山脈の東麓に沿った線までだが、東部となると議論が分かれる。
西部のコロラド州中北部の6,210haの短草草原は1976年にユネスコの生物圏保護区の中央平原生物圏保護区に[1]、東部のカンザス州北東部のマンハッタン付近のフリント・ヒルズにある3,487 haの長草草原は1978年にコンザ・プレーリー生物圏保護区にそれぞれ指定されたが[2]、2017年に同国の多くの生物圏保護区と共に登録解除となった[3]。
脚注
- ^ a b “Biosphere Reserve Information - CENTRAL PLAINS” (英語). Man and the Biosphere Programme. UNESCO. 2020年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
- ^ a b “Biosphere Reserve Information - KONZA PRAIRIE” (英語). Man and the Biosphere Programme. UNESCO. 2020年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
- ^ “23 new sites added to UNESCO’s World Network of Biosphere Reserves” (英語). UNESCO (2017年6月14日). 2023年2月13日閲覧。
外部リンク
グレートプレーンズ(プレーリー)
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「ステップ (植生)」の記事における「グレートプレーンズ(プレーリー)」の解説
北米大陸中央部でカナダ南部からアメリカ南部まで広がるグレートプレーンズのステップは、プレーリーとよばれる。アメリカ合衆国中部からカナダ西部にかけてのハイプレーンズ(英語版)(High Plains)はグレートプレーンズの西端に位置する。
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グレートプレーンズ
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「第二合衆国銀行」の記事における「グレートプレーンズ」の解説
第二アメリカ合衆国銀行は連邦政府にとって諸事情を扱うための便利な機関になった。この銀行はジェームズ・マディソンとアルバート・ギャラティンが米英戦争の後始末で国の財政が立ちゆかないと分かったときに創設された。米英戦争の結果合衆国は大きな負債を抱え、第一アメリカ合衆国銀行は1811年に閉鎖されていた。国の負債によって新しい民間銀行の中の紙幣が増加することになり、その結果インフレが大きく進んだ。その結果としてマディソンと連邦議会は第二アメリカ合衆国銀行創設に合意した。 戦後、アメリカ合衆国はその負債にも拘わらず、ヨーロッパにおけるナポレオン戦争での荒廃のために経済の膨張も経験した。特に、ヨーロッパ農業生産部門に対する損失のために、合衆国の農業生産は拡大した。銀行はその貸付によって経済膨張を助成し、土地に対する投機を促した。この貸付でほとんど誰もが金を借り土地に投資することができ、時には地価が2倍あるいは3倍に跳ね上がった。1819年だけの土地売買はおよそ5,500万エーカー (220,000 km2) に昇った。このような好況により、銀行に起こりつつあった不正や創出された経済バブルに気付く者はほとんどいなかった。 1818年夏、合衆国銀行の経営者は銀行が過剰に拡大しすぎたことを認識し、金融引き締めと貸付金の回収政策を打ち出した。この貸付金の回収によって同時に土地売買が減少し、ヨーロッパの回復に資していた産業の好況も減速させた。その結果が1819年恐慌となり、「マカロック対メリーランド州事件」に繋がる事情を生んだ。 メリーランド州は銀行を規制する政策を採用し、州議会に公認されていない銀行に税金を課した。この税金は銀行全資産の2%か一律15,000ドルのどちらかだった。このことは合衆国銀行のボルティモア支店がずっしりと重い税金を払わねばならないことを意味した。マカロックは郡裁判所に州を被告として訴訟を起こした。この訴訟は幾つかの裁判所を経て合衆国最高裁判所まで持ち上げられ、メリーランド州の税金は最終的に撤廃された。ダニエル・ウェブスターが銀行側の弁護を行って成功した。
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