クルド人自治区の問題とは? わかりやすく解説

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クルド人自治区の問題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 14:01 UTC 版)

イラク戦争」の記事における「クルド人自治区の問題」の解説

イラク北部都市キルクークには巨大な油田があるために、サッダーム・フセイン政権の下、トルコ人クルド人追い出され経緯を持つ。2003年4月第2週頃、アメリカ軍キルクークへの進攻に伴いイラク人は町を離れ周辺都市からクルド人来訪略奪繰り返すようになったトルコ自国クルド人独立国家設立しようとする可能性について懸念抱いており、キルクーククルド人自治区となること(ひいては原油関連事業資金クルド人の手に渡ること)に反対していた。アメリカ政府トルコ政府この方針に賛成しクルド人自治区はほとんど現状維持という形となったしかしながら当然のこととしてクルド人独立志向がそれで止むということはならずキルクークモスルペシュメルガによるアラブ人トルクメン人アッシリア人対す民族浄化多く報告される他、2006年9月にはクルド民主党党首であり、自治区議長務めマスード・バルザニ自治区でのイラク国旗使用廃しクルド旗の掲揚命じ議長令を発布する事実上独立向けた動き加速させている。 こうした中、2007年3月末にはクルド人キルクーク帰還入植アラブ人帰郷進め法律にマーリキー首相署名した。 しかし、入植アラブ人帰郷強制的な追放ではなく当人任意とされたことに同法案をキルクーククルド自治区編入と、対アラブ人民族浄化総仕上げ位置づけるクルド側は強く反発しており、またアラブ人側もシーア派主体の同市においてマフディー軍躍進するなど強い抵抗構え見せている。 また、同市の民族紛争においてはアルカーイダ始めとするスンナ派武装組織マフディー軍協力与えているとの報道もあった。この様民族間、宗派間の綱引き結果2008年現在未だにキルクーク帰属に関する投票行われていない。 また後述するトルコとの緊張状態もあわせ、イラク政府含めた自治区全周脅威備えるため』としてPKKPUK両党は一貫してペシュメルガ拡充続けており、その総兵力公称だけでも20超える至った一方で民族としての単一性高めることで治安経済安定させ、独自に海外からの投資多く受け入れクルド人自治区に安全と職を求めて自治区外からアラブ人国内難民流入する矛盾満ちた状況発生している。ただし、もともとの経済規模小ささ加え根強いアラブ感情もありアラブ系難民まともな仕事あてがわれることが少ないこともまた事実である。

※この「クルド人自治区の問題」の解説は、「イラク戦争」の解説の一部です。
「クルド人自治区の問題」を含む「イラク戦争」の記事については、「イラク戦争」の概要を参照ください。

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