クルハ(コルカ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 09:29 UTC 版)
紀元前13世紀、この地方に定住した部族の合併が進み、その結果としてコルキス王国が形成された。アルゴナウタイの目的地、メデイアの故郷、特異な魔法の領土として、ギリシア神話の中で知られたその国力は、ウラルトゥ人にもQulha(またはKolkha, Kilkhi)として知られていた。近隣国家との戦争が絶えず、紀元前750年代、コルキスはDiauehi(en:Diauehi)の一部を吸収合併したが、紀元前750年〜紀元前748年および紀元前744年〜紀元前742年の戦争で、いくつかの州(Ildemusaの王都を含む)をウラルトゥのサルドゥリス2世(Sarduris II)に奪われた。紀元前730年代〜紀元前720年代にかけては、キンメリアとスキタイの侵略を受け、王国は崩壊し、紀元前6世紀中頃にかけてアケメネス朝(ペルシア帝国)の支配下に入った。北コルキスに住んでいた部族(Tibareni、Machelones、Macrones、MoschiとMarres)はペルシアの19番目の州に併合され、その間、彼らは「自発的に」服従して、ペルシア宮廷に100人の少女と100人の少年を5年ごとに送った。ペルシア帝国は繁栄した商業と他の地方との広域の経済的商業的繋がりを持っていて、その影響がコルキスの社会経済的発展を促進させた。
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