グルジア/ジョージア人の起源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 15:30 UTC 版)
「グルジアの歴史」の記事における「グルジア/ジョージア人の起源」の解説
「カルトヴェリ語族」、「コルキス#クルハ(コルカ)」、および「ディアウヒ(英語版)」も参照 この地域においては、青銅器時代後期に部族連合の形成が進行していったとみられる。 現在のグルジア人(ジョージア人)の祖先は、紀元前1000年紀初頭のニネヴェ図書館収載のアッシリアの年代記に登場する。のちにはアッシリアに北接して勃興するウラルトゥ王国(アララト王国)の楔形文字で刻された年代記にも登場する。なお、ウラルトゥ王国で用いられたウラルトゥ語は、フルリ・ウラルトゥ語族に属する膠着語で、現在は消滅してしまったが、1950年代から1960年代にかけてグルジア人言語学者ギオルギ・メリキシヴィリ(英語版)によって解読された言語である。 それに対し、グルジア語はコーカサス諸語(カフカス諸語)に属する南コーカサス語族(カルトヴェリ語族)に属し、グルジア西部山岳地帯で話されるスヴァン語、グルジア西部黒海寄りの地域で話されるメグレル語、トルコ北東部海岸のトラブゾンで話されるラズ語などに近く、18もの方言を有する。グルジア語、スヴァン語、メグレル語間の関係は相互に意思疎通困難な独立言語であるが、メグレル語とラズ語のあいだには方言程度の差異しかない。今日、グルジア語の話者を狭義のグルジア人としてスヴァン人、メグレル人を加えて広義のグルジア人とすることがあるが、グルジア語にあっては狭義のグルジア語の話者のみがカルトリ人であって、スヴァン語、メグレル語の話者はあくまでもそれぞれスヴァン人、メグレル人であり、三言語を総称する固有の語は存在しない。なお、このうち文章語として発展したのは狭義のグルジア語のみである。 グルジア人の祖先となる民族は、黒海の東岸に広範囲に分布して後にコルキス王国をつくるコルキス人の源流をなすクルハ族と、のちに南西グルジアのタオ地方に定住するタオホイ族の源流をなすディアウヒ(英語版)族であり、両民族を母体としてかたちづくられたと考えられる。記録によれば、紀元前9世紀にはディアウヒの一部がウラルトゥ王国に組み入れられた。 コルキス人の富裕さについては、早くからギリシャ人たちの知るところであり、ギリシャ神話におけるコルキス王女メーデイアと金羊毛(翼を持つ金色の羊の毛皮)の物語に端的に示されている。グルジア人にかかわって文献上に現れる民族としては『旧約聖書』「エゼキエル書」におけるトゥバル人とメシャチ人が挙げられる。これはそれぞれアッシリア人にはタバリ人、ムシキ人と表記されていた民族であり、古典古代期の著述に現れるティバレニ人、モスホイ人に相当する。 紀元前8世紀から紀元前7世紀にかけて、ウクライナ地方で生活していたキンメリアとスキタイの侵略を受けてコルキスのなかで緩やかに進んでいた国家統合への動きは後退し、キンメリア人がアナトリアに侵入するとアナトリア方面から駆逐された諸部族がクラ川流域に殺到して土着の人びととのあいだで交流・混合が進んだ。これによって後のイベリア王国の民が形成されたと考えられる。
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