トルコとの緊張状態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 14:01 UTC 版)
トルコは国内に多くのクルド人を抱えており、クルド人勢力のテロと分離独立の動きを警戒している。イラクからのクルド人勢力の越境テロもあり、アメリカとイラクに対して対応を求めているが、治安の悪化を恐れて積極的な対応はされていない。こうしたなか、トルコは国境地帯に軍を展開させたが、逆に国境地帯でクルド労働者党(PKK)がトルコへの攻撃を激化させた。2007年6月にはPKKが拠点とするイラク北部のクルド人自治区に対してトルコ軍が大規模な越境攻撃を実施したとの報道が流れたが、トルコ側は限定的な作戦だったとして否定した。 その後、10月7日(ハッキャリでの武力衝突 (2007年))にトルコ兵13人が死亡するPKKの攻撃があり、トルコではイラク北部への1年間の越境軍事活動を可能にする法案が可決された。しかし21日には再びPKKの攻撃によりトルコ兵17人が死亡、応戦でPKKの32人が死亡し緊張が高まった。 イラク国境を挟んだ緊張状態はPKK及びトルコ軍航空部隊両者の数次に渡る越境攻撃を経て持続され、2008年2月21日、トルコ軍はついに2個旅団数千人規模の部隊をイラク北部へ越境進行させた。 これに対しPKKは激しく抵抗、クルド自治区もペシュメルガにトルコ軍との遭遇した場合には応戦するよう命じ、情勢は一触即発の事態にまで進展した。しかし、トルコ軍は結局アメリカ政府の強い圧力の下に初期の目的を果たせぬまま撤退を余儀なくされ、イラク政府は3月1日までにトルコ軍越境部隊の撤収を確認し、危機は一応の収束を迎えた。また、同軍の越境攻撃に関してはレジェップ・タイイップ・エルドアン首相は消極的であったとされるが、ケマル・アタテュルク以来の国是である政教分離を守ろうとする軍部と首相の所属政党でイスラム主義を標榜する公正発展党の内部から突き上げられ、両者との板ばさみになっている側面もある。
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