カピタン江戸参府
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カピタン江戸参府(カピタンえどさんぷ、Hofreis naar Yedo)は、オランダ商館責任者である商館長=カピタンの、日蘭貿易「御礼」のための江戸への旅。「御礼参り」「拝礼」とも称される。
注釈
- ^ 通訳は長崎在住メルヒオール・ファン・サントフォールト[3]。
- ^ 寛政2年までの参府は153回、その後の4年に1回になってからは13回。なお開国後の安政5年(1858年)ドンケル・クルティウス参府は含まれない。
- ^ ケンペル[5]の記述では「陰暦1月15日または16日が、毎年出発の日となっている」と書かれている。
- ^ オランダ人は検使を「
bongoy 、bongeoy [6]」と呼んだ。 - ^ 「仰(おおせ)」「法令」「条例」などとも呼ばれた。
- ^ 赤葡萄酒のこと。チンタ酒、沈多酒とも[7]。葡語
vinho tinto から[8]。 - ^ 享和2年(1802年)に江戸参府したWillem Wardenaar随行大通詞・石橋助左衛門[10]の記述より。
- ^ 通常は、通知のあった翌日が指定日となる。
- ^ 長崎奉行は2名体制で、1名が長崎に出張している間、もう1人は江戸に残って執務する。
- ^ 幕末のヤン・ドンケル・クルティウス配下商館員から駐日蘭総領事まで務め京都で明治天皇に拝謁したディルク・デ・グラーフ・ファン・ポルスブルック(オランダ獅子勲章騎士)は直系の子孫(De Graeff家)にあたる
- ^ VOC取締役 Pieter de Graeff[注釈 10] 1663年 カスパル・ネッチェル画 アムステルダム国立美術館
- ^ ケンペルの記述より。
出典
- ^ Marc Jason Gilbert, "Paper Trails: Deshima Island: A Stepping Stone between Civilizations", World History Connected, North Georgia College and State University, 2008.
- ^ ニコラース・ポイク「ニコラース・ポイクの駿府旅行記 三浦按針(ウィリアム・アダムス)に関する新史料」『日本歴史』通号436、吉川弘文館、1984年、1-22頁、CRID 1520290884392506112。
- ^ 森良和「メルヒオール・ファン・サントフォールト 日本で生きることを選んだリーフデ号船員の生涯」『玉川大学教養学部紀要』第2013巻、2013年、85-86頁、hdl:11078/133。
- ^ 異国日記
- ^ ケンペル『江戸参府旅行日記』斎藤信 訳、平凡社〈東洋文庫〉、1977年2月。全国書誌番号:77013253。
- ^ 【オランダ商館長日記】訳文編 訳1(上)『ニコラース・クーケバッケルの日記 其の壱(上)』(→本文二頁目...〈略〉
檢査官等 、すなわちボンゴイス 〈略〉...)東京大学史料編纂所 - ^ 『徳川実紀』寛文八年二月二八日「又蘭人御覧ぜらる。貢ものは猩々緋一種〈略〉
沈多酒 一壺なり」(精選版 日本国語大辞典) - ^ デジタル大辞泉
- ^ 兵庫県揖保郡御津町。
- ^ 上田正昭他著 三省堂編修所 『コンサイス日本人名事典』三省堂 2009年
- ^ vlieger
- 1 カピタン江戸参府とは
- 2 カピタン江戸参府の概要
- 3 江戸参府道中
- 4 江戸滞在時の行事
- 5 脚注
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