エル・モロ包囲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/20 01:01 UTC 版)
「ハバナの戦い (1762年)」の記事における「エル・モロ包囲」の解説
6月11日、イギリス軍はカヴァノス山にあるスペインの孤塁を強襲、占領した。ここでようやくモロ城の強固さに気づいたイギリスの指揮官は翌日に攻城兵器が到着するとカヴァノス山より約7メートル高いラ・カバナ山で砲台を築いた。ラ・カバナ山は戦略的な要地であり、スペイン王がプラドへ直にラ・カバナ山を要塞化するよう命令を下したにもかかわらず、なぜかスペイン守備軍がおらず放棄されていたためイギリスに占領された。 6月13日、イギリス軍の1隊は港の西側にあるラ・チョレラ塔(英語版)に上陸した。そのころ、工兵のパトリック・マッケラー(英語版)大佐はモロ城の攻城について考えていた。塹壕を掘ることが不可能だったため、彼はモロ城の排水溝に向けて胸壁を築くことを選択し、それが完成するとモロ城の稜堡を爆破してそのまま軍が雪崩れ込む作戦を立てた。 22日、重砲12門と臼砲38門を含むイギリス砲台4つがラ・カバナ山からモロ城へ砲撃した。砲撃の援護もあって、マッケラーは胸壁を徐々に排水溝へ前進させた。 29日までに、イギリス軍は毎日の砲撃の数を500発まで上昇させ、ベラスコは毎日約30人の兵士を失った。スペイン軍は毎晩要塞を修復していたが、その仕事がハードすぎて3日ごとに兵士を交替させなければならなかった。ベラスコはこの状況をプラドに説明して、イギリス砲台に対する強襲が必要であることを納得させた。29日の黎明、スペイン軍988人がイギリス砲台を後ろから奇襲したが、イギリス軍はすぐさま応戦してスペイン軍を追い出し、砲台の損傷を最小限に抑えた。 7月1日、イギリス陸軍と海軍は同時にモロ城へ攻撃した。海軍は戦列艦4隻(スターリング・キャッスル、ドラゴン、マールバラ、ケンブリッジ)を派遣して、陸上の砲台とともにモロ城へ砲撃したが、モロ城が山上にあるため艦砲射撃の効果は弱く、逆にモロ城の大砲30門の反撃で死傷者192人と戦列艦3隻沈没という損害を出して撃退された。一方、陸上からの砲撃の効果ははるかに高く、その日の終わりにはモロ城のイギリス砲台に向けている砲台のうち、3門を除いて全て破壊された。 2日、イギリスの胸壁が炎上して砲台が崩れ落ち、強襲の危険が一時去ったためベラスコは機に乗じて砲台や城壁を修復した。 ハバナに到着した以降、イギリス軍は黄熱に悩まされ、すでに実力が半減していた。大西洋のハリケーンシーズン(英語版)がもうすぐ来るため、アルベマールに残された時間は少なかった。彼は砲台の再建を命令し、戦艦数隻の大砲を陸上に移動させた。 17日までに、再建されたイギリス砲台はベラスコの大砲を2つ除いて全て破壊した。大砲の援護なくして、スペイン軍には城壁を修復するすべがなかった。マッケラーは攻城兵器の建造を再開したが、軍の状態が悪く、建造は緩慢にしか進まなかった。イギリス軍の唯一の望みは北アメリカからの増援であった。 20日、攻城兵器の建造が進んだことでイギリス軍はモロ城の右のほうにある稜堡の爆破を準備する(爆弾を設置する)ことができた。一方、スペインからの抵抗がなくなったイギリス砲台は毎日600発もの砲弾を撃ち、スペイン軍に60人の死傷者を出した。砲台の破壊に失敗したベラスコはイギリスの攻城兵器を破壊することが唯一の望みとなり、22日の朝4時にスペイン軍1,300人がハバナから出撃して、モロ城の周りの攻城兵器を攻撃したが、このソーティ攻撃は失敗した。 24日、アルベマールはベラスコに降伏を勧告、彼自身が降伏文書を起草することを許可したが、ベラスコは武力行使で解決すると返答した。 7月27日、バートン大佐率いる北アメリカからの増援がようやく到着した。道中でフランスに襲われ、約500人が捕虜になったが、それでも数千人いた。 29日、モロ城の稜堡の近くでイギリスの爆弾の設置が完了した。アルベマールは突撃を1回命令して、ベラスコを降伏させようとしたが、ベラスコは逆に必死に反撃して、海上から排水溝にいるイギリス軍を攻撃しようとした。 30日の朝2時、スペインのスクーナー2隻が海上から排水溝を攻撃したが失敗して撤退した。13時、イギリス軍はようやく爆弾を爆発させた。爆発の破片は排水溝に散乱していたが、アルベマールは通過は可能と判断して、選りすぐりの精兵699人を稜堡へ送り出し、スペイン軍が反撃する前に16人が稜堡に到着した。ベラスコは稜堡へ急いだが乱戦の中で重傷を負った。イギリス軍がモロ城を占領すると、ベラスコはハバナへ運ばれた。 31日の21時、ベラスコは戦傷が原因で死亡した。イギリスは今やモロ城を占領したので、町への攻撃も湾への攻撃も自由にできた。イギリス軍はモロ城からラ・カバナ山にかけて砲台を築いて砲撃を準備した。
※この「エル・モロ包囲」の解説は、「ハバナの戦い (1762年)」の解説の一部です。
「エル・モロ包囲」を含む「ハバナの戦い (1762年)」の記事については、「ハバナの戦い (1762年)」の概要を参照ください。
- エル・モロ包囲のページへのリンク