エル・モソ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 15:58 UTC 版)
「ディエゴ・デ・アルマグロ」の記事における「エル・モソ」の解説
ディエゴ・デ・アルマグロ 2世(Diego de Almagro II、1520年 - 1542年)は、アルマグロの息子。母はパナマのインディオの娘、「エル・モソ(El Mozo、若者)」として知られている。ピサロを剣に掛けた暗殺者たちの御輿になった。ピサロは1541年6月26日に殺害されたが、暗殺者たちは即座に彼を担いでペルー総督アルマグロ 2世を宣言した。しかし新総督クリストバル・バカ・デ・カストロ(英語版)が着任すると、1542年9月16日にクスコ郊外でチュパスの戦い(スペイン語版、英語版)に敗れ、再起を図ったものの逮捕されて同日に市の広場で斬首された。
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