エジプト医学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 05:59 UTC 版)
詳細は「古代エジプト医学」を参照 3千年の歴史の中で、古代エジプトは巨大で多岐にわたる豊かな医学の伝統を作り出した。歴史家ヘロドトスはエジプト人を指して「すべての人間の中で、リビア人の次に最も健康だ」と表現した。これは乾燥した気候と、すぐれた公衆衛生のシステムのためだった。ヘロドトスによれば、「医学の技術は、一人の医者は一つの病気だけを治療する、というほどに専門化されている」という。ホメーロスは『オデュッセイア』の中でエジプトを「実り豊かな地球が、薬を最も多く貯蔵する」地で、エジプトでは「全ての人が医者」だと述べた。かなりの部分が超自然現象を扱っていたとはいえ、エジプト医学は最終的に、解剖学・公衆衛生・臨床診断の領域で実用的な手法を開発した。 エドウィン・スミス・パピルスに収録された医学知識は紀元前3000年頃のものとも言われている。知りうる限りエジプト最古の外科手術は、紀元前2750年に行われた。エジプト第3王朝のイムホテプは、古代エジプト医学の設立者、および療法・慢性病・解剖学についての所見を記したエドウィン・スミス・パピルスの原典の編纂者とも言われている。エドウィン・スミス・パピルスは紀元前1600年頃に書かれた、いくつかの先行する研究の複写だと考えられている。古代の外科教本で、魔術的な思考をほとんど全て排除しており、数々の慢性病の検診・診断・処置・予後について詳述している。 対照的に、エーベルス・パピルス(紀元前1550年頃)には、病気の原因となる、悪霊その他の迷信上の存在を退けるための、まじないや非衛生な対処法が多く記されている。エベルス・パピルスには、文書として現存する最古の腫瘍の認識記録があるが、古代医学上の誤解もあり、たとえば546節や547節では単なる腫れものと解釈しているようだ。 カフン・パピルス(en:Kahun Papyrus)は、妊娠に伴う問題を含む婦人病を扱っている。断片的なものを含め、診断と処置について詳述する34の症例が現存している。紀元前1800年ごろのもので、現存する最古の医学文献である。 エジプト第1王朝期には「生命の家(ペル・アンク)」と呼ばれる医療施設が作られていた。第19王朝までに、労働者の中には医療保険・年金・疾病休暇などの福祉を受けられる者もいた。 記録上最古の医者も、古代エジプトのものだといわれている。紀元前27世紀、第3王朝ジェセル王の「歯科医と医者の長」と呼ばれたヘシレである。また、記録上最古の女医は、「女医の女性監督者」の称号を与えられた第4王朝時代のペセシェトである。監督者としての立場に加え、ペセシェトはサイス(古代エジプトの都市)の医学校の助産科を卒業した。
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