エジプト側の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 14:15 UTC 版)
「10月14日の戦車戦」の記事における「エジプト側の状況」の解説
10月9日、第6機械化歩兵師団所属の第1機械化歩兵旅団がイスラエル軍の前線飛行場があったラス=スダルに向けて進撃した。この地区を守るイスラエル軍の部隊は南シナイ方面軍の1個歩兵旅団と戦車20両ほどであったが、エジプト軍は対空火器の射程外に出て攻勢を仕掛たのでイスラエル軍は航空支援を行うことができ、第1機械化歩兵旅団は撃退された。この戦闘はエジプト軍地上部隊が対空火器の射程外に出ることが、いかに危険かを示すものとなった。 エジプトがシリアから救援要請を受けたのが10月11日で、アフマド・イスマイル=アリ国防相は2日後の13日にシナイ正面で攻勢を行うよう命令した。一方参謀総長のサード・エル・シャズリ中将はこの攻勢に反対で、第1機械化歩兵旅団のことを例に挙げて攻撃の危険性を警告したが、12日の作戦会議でイスマイルはサダトからの「大統領命令」だとしてシャズリの反論を退けた。一応イスマイルは作戦準備の都合上、攻撃決行日は14日に延期した。 イスラエル軍はエジプト軍のスエズ運河西岸に展開していた2個戦車師団、すなわち第2軍区域では第21戦車師団(2個戦車旅団+1個機械化歩兵旅団)、第3軍区域では第4戦車師団(3個戦車旅団+1個機械化歩兵旅団)を主力とし、このほか各歩兵師団に配属されていた計3個戦車旅団、計1,500両の戦車による攻撃(その上コマンドー部隊による後方への降着)を予期していたが、12~13日、攻撃のためスエズ運河東岸に渡った部隊は限られていた。すなわち第2軍区域では第21戦車師団の第1戦車旅団、第18機械化歩兵旅団が渡河し、第16歩兵師団に配属されていた第14戦車旅団とあわせて完全戦力が整ったものの、第3軍区域では(第18歩兵師団に配属されていた第3戦車旅団を除いて)第4戦車師団の部隊が渡河することはなく、スエズ運河東岸にあった戦車は1,000両にとどまった。このほか2K12 クープ(SA-6 ゲインフル)自走対空ミサイル6個中隊を含む14個防空中隊、多数の砲兵・迫撃砲大隊が展開した。 このような状況下でシャズリは「奇跡」さえなければ勝利はあり得ないと語っている(ただし以下の回想は戦後のもの)。 敵は900輌の戦車を展開させていた。こちらは400輌〔ママ〕で攻撃していようとしている。敵が10月8~9日に行って大損害を受けたように、敵の待ち構える、まさに「魔女の鍋」へ突入しようとするのである。そして我々は制空権を敵に握られた、開けた場所に戦車を送ろうとしているのだ。 — サード・エル・シャズリ、Simon Dunstan,Kevin Lyles,"The Yom Kippur War 1973(2) The Sinai",P64の翻訳
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