バビロニア医学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 05:59 UTC 版)
詳細は「en:Babylonian medicine」を参照 バビロニアの医学の記述は、紀元前2千年紀前半のバビロン第1王朝までさかのぼる。しかし最も広範なバビロニアの医学文献は、アダド・アプラ・イディナ王の治世(紀元前1069年-1046年)の、ボルシッパ(シュメールの都市)のエサギル・キン・アプリ(Esagil-kin-apli)という医師による『診断手引書』である。 同時代のエジプト医学と同じく、バビロニア人は診断・予後・診察・処方の概念を取り入れた。これらに加え、『診断手引書』では治療計画、原因療法、経験論の活用、論理学、診断・予後・治療における合理主義などが取り入れられた。また医学上の症候のリストも含まれており、患者の体に表れる症候と診察・予後とを照合する際に使用する理論的なルールとともに、詳しい経験上の観察が多く記されていたる。 『診断手引書』は、原則と推測の理論的な組み合わせが基本になっており、患者の兆候に対して検査・視診を行うことで、患者の疾患・病因および見通しや回復の機会を特定できる、という現代的な視点も含まれている。患者の兆候や疾患に対しては、包帯・軟膏・錠剤などの治療法が用いられた。
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