バビロニアの世界地図 (紀元前7世紀)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 02:40 UTC 版)
「初期の世界地図」の記事における「バビロニアの世界地図 (紀元前7世紀)」の解説
詳細は「en:Babylonian Map of the World」を参照 知られている最も古い世界地図は、紀元前600年頃のバビロニアの世界地図(Imago Mundi)である。この地図は北が上として描かれており、その説明文が付いている。二重の円が描かれており、内円の内側が陸地、外円と内円の間が海(後の古代ギリシアで言うオーケアノス)、外円の外側が対岸の陸地である。ただし「対岸の陸地」は想像上のものであり、その説明も空想的内容になっている。内円の上半分に描かれた横長の長方形がバビロンである。中央付近で南北に描かれた2本の線は、左がユーフラテス川、右がチグリス川と考えられている。ただし実際のバビロンにはチグリス川は流れていないので、この平行線はユーフラテス川の両岸であるとする考えもある。チグリス川の上流は山となっており、チグリス川下流の三日月模様はペルシア湾、内円下部の細長い長方形は湿地帯、内円の内側に書かれたたくさんの小円は他の有力都市を表している。つまり、この地図は世界地図を意図したものではあるが、現実世界と一致しているのはバビロンと周辺都市、周辺地理のみである。
※この「バビロニアの世界地図 (紀元前7世紀)」の解説は、「初期の世界地図」の解説の一部です。
「バビロニアの世界地図 (紀元前7世紀)」を含む「初期の世界地図」の記事については、「初期の世界地図」の概要を参照ください。
- バビロニアの世界地図のページへのリンク